遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

終戦から78年、きょうは終戦の日です 黙祷

終戦から78年、きょうは終戦の日です。

東京の日本武道館では全国戦没者追悼式が開かれました。

 

日本の戦士者は310万人(軍人230万人、一般市民80万人)でしたが、日本軍の犠牲になったアジア同胞は3600万人を数えます。

その罪を贖うために、天皇皇后両陛下とともに永遠に戦争放棄を誓いたいと思います。

黙祷

 

湯川れい子@yukawareiko
私は87歳です。
大好きだった長兄はフィリピンで戦死。その遺骨を探しに1970、1人でマニラの山の中まで行っています。
父は海軍の作戦本部で徹夜続きで肺炎で急死。息子2人を戦場に送っていた母は、虫歯に被せた金歯を提出させられ、私はナギナタで米兵と戦う訓練をさせられました。
もう、充分です‼️

原田 忠男@harapion
私の祖父もフィリピンのルソン島で戦死しているので、フィリピンと聞くと複雑な想いに駆られます。戦地に向かう直前の国内の駐屯地から届いた葉書を、祖母は大切に持っていました。食事に魚が出て、魚好きだった娘(私の母)に食べさせてあげたかったと書かれていました。戦争は家族を引き裂きます。

tomy bmw@tomynog3
3年前亡くなった私の母も、竹やりで軍事教練。
母(祖母)兄弟すべて、東京大空襲てなくした。あんたたちは幸せだと涙した。
B29の飛行士が見えたとも言った。
今を戦前してはいけない。
湯川さんの言葉を重く感じます。

SlowHand@SlowHan57221479
大正8年生まれの父はインパール作戦の生き残りでした。父
の弟は満州で、母の兄は南京で戦死。父方の祖母は父が8歳
の時に夫を亡くし、以来、女手一つで二人の兄弟を育て上
げ、二人を戦地にとられ毎日仏壇に陰膳を据えて無事を祈っ
たそうです。そして帰ってきたのは兄の父だけでした。