遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

終戦を迎え戦後に踏み出す「おちょやん」

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朝ドラ「おちょやん」。ようやく終戦を迎えた。

ドラマとはいえ、1945年8月15日を迎え主人公たちが戦後に足を踏み入れると、何だかホッとする。

ドラマでは、夫が戦死し姑が空襲で焼死して、そのショックで寝込んでしまう妻の姿も描かれているが、あの姿を見て現代の人たちは何を思うのだろうかと感慨深い。

主人公を演じる杉咲花は、ここまで「涙」と「慟哭」の人生を歩んできた千代を見事に演じていて素晴らしい。あの早口の大阪弁を見事に操るには、どれほどの努力をしたのかと思う。

大阪人の私が思うに、ゆっくりしゃべればなんとかなる大阪弁のイントネーションでも(それでも非常に難しいが)、啖呵を切ったりケンカをする場面でのまくしたてる大阪弁は、ネイティブでなければ英語よりも難しい発音だと思うのだが、杉咲のそれは破たんがない。

生前の浪花千栄子はいつも早口だったが、それをほうふつとさせる見事さである。

終戦を迎えて、焼け跡で千代はイプセンの人形の家の主人公ノラのセリフを標準語で独白する。
「私はただ、しようと思うことは是非しなくちゃならないと思っているばかりです」
「私には神聖な義務がほかにあります!」
「私自身に対する義務ですよ!」
「何より第一に、おまえは妻であり、母である」
「何よりも第一に、私は人間です。ちょうどあなたと同じ人間です。少なくともこれからそうなろうとしているところです」
「これから一生懸命わかろうと思います。社会と、私と、どちらが正しいのか、決めなくてはなりませんから!」

「おちょやん」のモデルとなった浪花千栄子の戦後の実生活は、これまた涙と慟哭の波に飲まれるのだが、残り1か月でこの物語はどのようなエンディングを迎えることになるのだろう。

繰り返しになるが、「おちょやん」でこれまでに描かれてきた市井の人たちの戦争悲劇を、いまの人はどう感じているのだろうと思う今日この頃なのである。