遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

日本とともに沈まないために執行部を替えろ立憲民主党!

立憲民主党の泉代表が、次の国政選挙では共産党選挙協力をしないとTV番組で述べたそうです。

立憲は維新と国会内での協力関係を解消しましたが、それはとても良い選択だったと思います。では次の選挙での「自民+公明+維新+国民民主」という大きな塊に対して、立憲民主党はどういう公約と戦略と態勢で臨むのかが分からないし、野党共闘を組まないということは、戦わずして負けを認めていることと同じだと思うわけです。

かつて、共産党社民党やれいわ新選組との選挙共闘(立候補調整)で成功したのは立憲の過去の執行部であって、現在の執行部役員とはほぼ重なっていません。

泉代表をはじめ、岡田、安住などの現執行部は、知名度もなくきらめきもないくすんだ執行部で、実に中途半端で旧い考えの無策集団(まるで今の連合のよう)に見えてしまいます。とりわけ、何もしていない泉代表は、何もしていないから責任も感じていないのではないでしょうか。

そんな代表の下、曖昧模糊とした政策の政党で、選挙協力もしないで自滅していいのでしょうか。私たちのように支持する人たち不在の政党で、政策集団として機能していなくて、山積されている国家の諸問題に何一つ真正面から取り組んでいないと非難されても仕方がありません。

たとえば、少子化対策子育て支援だけにに特化した政策でも、そこから派生する問題は、賃金・労働条件・教育・医療・税金や保険(国民負担)など多岐にわたる国民生活に関する課題ですから、まずはそれらの切り口から自分たちの政策を押し出せばいいかと思います。

その点で、大阪維新を支持する多くの大阪の有権者は日本の一番先頭を走っているのかもしれません。

自民党公明党政権の下、日本丸は沈みかけているのですが、その船から一番先に這い出して海に飛び込んだのが大阪の有権者なのかもしれません。

そして、大海原を泳ぎ疲れて溺れそうになっ掴んだ藁が大阪維新だった可能性があります。維新の個々の議員の質の悪さは目を覆うばかりで、表ざたになった事件やごまかしや不祥事は枚挙にいとまがありません。橋下をはじめ、イソジン吉村や雨がっぱ松井など維新の幹部の言動を見聞きしても、彼らを尊敬や支持することは不可能です。

にもかかわらず、「自公よりましか」と有権者は彼らに投票するようです。落選を恐れない自分で供託金が払える候補者がつぎからつぎへと名乗りを上げるから、藁のような候補者に困らないのではないでしょうか。

そして候補者の事務所はもとより仲間のサポートをする維新の現役の議員たちは、いったん選挙に入ると投票依頼の電話をかけまくるそうです。架電はノルマがあって、かけてかけてかけまくるそうですから、政策も何もないその電話に藁にもすがりたい有権者があたれば「維新に入れようか」と思っても何ら不思議はありません。

ところが、立憲民主党は国民生活の一部になっていないところがあります。

中間層や連合の組合員やさまざまな差別を受けている少数派の側に立っているかもしれませんが、現在のマジョリティは生活が苦しくなってきている人たちで、藁にもすがりたい人たちが手を伸ばせば届くところに立憲民主党は存在していません。

そのためにも、立憲民主党は国民の生活優先の課題を粘り強く推し進めていくべきでしょう。立憲の個々の議員は、維新などとは比べ物にならないくらい有能なのにもかかわらず、幹部がそれを十分に生かし切れていないのだと思います。

ということで、閉ざされた党になってしまった立憲民主党は、幹部を入れ替えて次の選挙で野党共闘態勢を構築して、とりあえずは沈みゆく日本丸をなんとかしてもらいたいと願っています。

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