遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

祝・再審請求開始 袴田さんとサッコ&ヴァンゼッティ

2度にわたる袴田事件の再審開始決定がなされ、とりあえずは喜ばしい結果が出ました。

事件は1966年に起こり、犯人とされた袴田巖さんは無実を訴え続けたにもかかわらず死刑判決を受け、47年間ものあいだ身体拘束を受けていた後釈放され収監は免れていますが、このほどようやく再審請求が開始されることとなりました。

不覚にも、まだそういう段階だったのかと今回改めて認識したのですが、2014年にいったん再審請求が開始されたにもかかわらず、2020年に検察官の即時抗告に対して東京高裁(大島隆明裁判長)が、再審開始決定を取り消し、再審請求を棄却したのでした。

今般、有罪の決定的証拠とされていた5点の衣類について、証拠に採用するには疑義があり袴田さんを犯人と認定することはできないとして、東京高等裁判所(大善文男裁判長)が静岡地方裁判所の再審開始決定を支持しました。

日本はえん罪や再審請求が繰り返されることは枚挙にいとまがありませんし、検察がなんとか犯人を確定したいとの焦りから証拠をねつ造したケース(厚労省の村木さんの事件など)も過去にはありましたから、なんとも恐ろしい国であります。

もし袴田さんが早々に死刑執行されていたとしたらと思うと、繰り返しになりますがほんとに恐ろしい国だと思います。

とりわけ国家権力は、帝国憲法の時代から、反権力反政府の思想信条を持つような人間や弱者を犯人に仕立て上げるという傾向が強く人道的に甚だ問題があります。

そして、裁判闘争などで権力と抗うと、むやみに時間がかかるということも特筆すべきことだと思います。

アメリカで1920年に起きた「サッコ・ヴァンゼッティ事件」は、イタリア系移民(弱者)のサッコとヴァンゼッティという若者が、たしか彼らが共産党員だった(思想信条)こともあり、無実の罪で死刑になりました。

これは1971年に映画化され、日本では「死刑台のメロディ」という「死刑台のエレベーター」みたいで感心しない邦題で全国ロードショー公開されました。

私は学生時代に映画館でこの映画を観ましたが、ストーリーは忘れたものの、アメリカの恥部とも言われるえん罪で死刑になったふたりの若者のことと、映画の主題歌は(エンニオ・モリコーネが作曲し、ジョーン・バエズが歌った)、50年経ったいまでも忘れることはありません。

アメリカという国をそんなに好きではない私ですが、それでも彼らは自らの過ちを律することを歴史のなかで繰り返してきたように思いますし、少しずつ、しかし確実に進化している国だと思います。

日本に欠けるのはそういう失敗を認める柔軟な部分ではないでしょうか。頑ななまでに大和魂というか、マッチョな侍魂を美しいと思うようで、失敗や弱みを隠したり取り繕うことで美しさをキープしたい人種のようです。

先の戦争による戦争責任や戦争賠償も、国内外に向けてうやむやなのは、裃を着たちょんまげ頭のせいなのでしょう。検察や役人たちののらりくらりとした仕事振りと証拠隠滅ねつ造、公的文書の非開示や改ざんなどはその「侍魂」を表象するものなのではないでしょうか。

放送法の解釈について看過できなかった(?)役人が、いまになって内部機密文書を国会議員に託しましたが、これは日本の民主化の兆しが見えてきたのかもしれません。そうなら喜ばしいことであります。

【資料】

ja.wikipedia.org

1972年 キネマ旬報ベストテン
1: ラスト・ショー
2: フェリーニのローマ
3: 死刑台のメロディ
4: 時計じかけのオレンジ
5: わらの犬
6: 真夜中のパーティ
7: ジュニア・ボナー 華麗なる挑戦
8: ゴッドファーザー
9: キャバレー(1971)
10: フレンチ・コネクション