遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

教祖に忖度/オウム真理教の悲劇

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1980年から1990年までの10年間、私は新大阪で仕事をしていた。

新大阪駅から職場まで歩いて10分ほどの距離だったが、その途中にある古い雑居ビルのようなマンションがあった。その2階の一室の窓に、手書きで「オウム」と書かれた紙のボードが貼ってあった。
はじめ、京都にある「オーム」書店の出先かと錯覚していたが、その「オウム」と書かれた窓越しに奇妙な声を何度か耳にした。

坂本弁護士一家殺害事件(1989年11)の首謀者がオウム真理教だと世間を震撼させたとき、新大阪のあの「オウム」の貼り紙窓から聞こえてきたのは、この教団の修行の声だったことを認識した。ただ、犯行現場に落ちていたオウムのバッジは、証拠物件としてはあまりにもわかりやすくて、うぶな私はオウムは誰かにはめられていると思っていた。

その翌年1990年に、オウムは真理党として衆議院選挙に打って出たが結果は惨敗。その見るからに無様な選挙活動を見て、麻原とその信者のイカサマ性を感じ取った有権者は、手厳しい選挙結果を彼らに突きつけた。私はざまあみろと思っていたが、その世間の厳しい投票行動を一身に受けた形になった麻原は、より残虐な男になった。そこから、教祖さまのボロが出はじめたのである。

死ぬほど打ちひしがれた者が、宗教の救いを求めることを全否定はしないが、その宗教のために何をしてもいいと教える宗教は弾劾されるべきである。

朝日新聞のインタビューで、宮台真司は、
《オウムという存在自体が日本社会を大きく変えたとは思いません。むしろ逆です。その後の報道などでも明らかなように、この社会に絶望して教団に入ったのに、教団の中で繰り返されていたのは今風にいえば、麻原彰晃の覚えをめでたくするための「忖度(そんたく)」競争でした。教義や大義、手続きはどうでもよく、全体性もない。オウムとは、日本社会の特徴とされる構造を反復した。その意味では極めて陳腐な存在です。》と答えている。

いまや安倍の専売特許である「忖度」は、オウムでも生きていた。麻原の名前を安倍にすげ替えても通じるところがある、ということである。

私は60代半ばになって、国家による殺人、その主なものは戦争による殺人なのだが、もう一つ死刑制度についても反対の意を強くしている。直接的な被害者の家族や知人の立場でないので、考えは変わるかもしれないが、死刑制度を廃止して終身刑制度を設けるべきだと考えている。しかし、それとは別に、教団に命を奪われた被害者の方々には、改めてご冥福を祈るばかりである。

それにしても、一日で7人の死刑執行が安倍政権下で実施されたのは、象徴的な感じがする。テレビ・メディアが生放送やニュース速報でまるで死刑執行ショーのように伝えているのを見て、「あるカルト教団」の教祖とその信者が、「別のカルト教団」を弾圧し掃討したような今回の死刑執行だった。

私たちはここ数年来、きわめて陳腐な三文芝居を薄汚れた芝居小屋の桟敷で見せつけられている。真の救世主がそろそろ出てきてほしいものである。