ボーン・コレクター〈上・下〉 ジェフリー・ディーヴァー 池田 真紀子 (訳) (文春文庫)
ジェットコースター・サスペンスの王道を往く傑作とのふれこみで登場した、リンカーン・ライムシリーズの第一弾「ボーン・コレクター」。私はすでにこのシリーズの「ウォッチ・メイカー」を読んでいるので、リンカーンとその公私にわたるパートナーアメリア・サックスとは初対面ではないので、そのことについては新鮮さはない。
ニューヨーク市警のリンカーン・ライム警部補は、事件の現場で鑑識捜査中に不慮の事故で、四肢麻痺になる重傷を負う。考える・食べる・飲む・話す・見る・聞く・嗅ぐという頭と顔で果たす機能と左手薬指以外は、からだが機能しない人間になった。そんなに機能が残っているならと思うのだが、リンカーンは無気力な生活態度で自殺すること以外考えない日々が続いていた。
そんなとき、ある連続凶悪事件が発生し、リンカーンに協力捜査が要請される。偶然その初動捜査にあたったのが、元モデルの美人警官アメリアだった。寝室のベッドからリンカーンは初対面のアメリアに、自分の手足のように指示を出す。そのアメリアも傷ついた心を持つ警官であった。
年の離れた心に傷持つ二人は、単なる職業意識で反発したり協力していくうち、惹かれあうようになる。このシリーズのはじまりは、こういうことだったのかと、ひざを打つことになる。
私は本書の途中で「羊たちの沈黙」のハンニバルとスターリングの二人を思い出した。彼らは恋人同士ではなかったが、師弟関係のようなある種の信頼感で結ばれていた。ジェフリー・ディーヴァーは、本書を構想するのに、トマス・ハリスのハンニバルシリーズにどこか影響を受けていると思う。「羊たちの沈黙」のすごさには及ばないが、その面影があるのである。
「走ってさえいれば振り切れる」というフレーズが本書に出てくる。その後のシリーズの中の二人は、地に足着けて歩ける大人になっているが、出会ったころのリンカーンとアメリアの不安定な時期を表現したフレーズだといえよう。
何かを追いかけて走っていれば、思い出したくない過去や暗闇が彼らを追いかけてきても、追いつかれずに振り切れる。現場に残された証拠から、犯人捜査を組み立てていく(この証拠集めの綿密さとデリケートさは、実によく描かれていて素晴らしい)という地道な行為を続けていく限り、「振り切れる」ことが分かってくる。
ジェット・コースターではなく、各駅停車の旅を楽しんだ感の方が強かった。