遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

北戸田駅の心中事故 楽しい未来があったはずの家族だったのに

今夜は家族ぐるみの付き合いのあるお家のお通夜に出かけます。明日は葬儀。

亡くなられた方は病院か施設に入っておられて、特段お悪いようには聞いていなかったのですが、急に亡くなられたと息子さんから携帯に連絡が入りました。

スルー出来るセールス以外は特に連絡が入らないわが家ですが、知り合いから何か連絡があると「身構え」てしまいます。

その連絡からしばらくして、埼玉での親子の電車飛び込みニュースを目にしました。

《28日午前、埼玉県戸田市のJR埼京線北戸田駅で、母親と小学生の男の子2人の親子3人が走ってきた電車にはねられ死亡しました。
警察は、線路に飛び降りたとみて、当時の状況やいきさつなどを詳しく調べています。》

37歳の母親が小学生の2人の男の子(8歳と6歳)を道連れに心中したようでしたが、このニュースを見聞きした多くの人が心を痛めたことと思います。

私の娘や孫とほぼ同じ年頃の3人の心中というだけでなく、前途ある3人に何があったのかという思いから涙がにじみ出てくることを抑えられませんでした。

国家レベルのネグレクト状態である今の日本ですが、それでも歯を食いしばって生きている人たちも多くいて、必死の思いをして子育てをしている人たちが多くいます。

亡くなられた母親は、おそらく生活苦が原因で3人の心中を選んだのでしょうか、その前に誰かに助けを求めることができなかったのかと残念でなりません。

「助けて」と発信することが恥ずかしかったり難しいことは分からなくもないですが、しかし、日本人は「もうだめだ」という時に何かに誰かに助けを求めることを恥と思ってしまう人が多いのかもしれません。そんなことをするなら死んだほうがましだということなのでしょうか。

それと、助けを求められたときに、いつも社会や個人がそれに応えられる状況にあるのだろうかという問題もあります。

個人的に受け止められなくても、公共的ななにかにすがったり駆け込んだりできる社会構造にはなっていないようにも思えます。

公の経済的な支えとしてたとえば生活保護というシステムがありますが、この公のセーフティネットを利用することに抵抗感というか罪悪感のようなものが「見えざる世間の白い目」としてぼんやりと漂っていて、病気になった人や困窮している人たちが生活保護を受給することを遠ざけているような気もします。

生活保護を受ける(受け続ける)ための規則・条件そのものを考え直すことと同時に、世間やお役所の白い目をなくせば、もう少し利用しやすくなるのではないかと思いますが、本当のところの実態はよく分かりません。

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政治がやることのひとつに徴収した税金の配分を公正に適正に行うことがありますが、これは非常に大事なことだと思います。

そのことですべてが解決できるとは思いませんが、困った時にためらいなく利用できる駆け込みシステムが充実すれば、役所や世間の白い眼は薄らいでいくと思いますし、そのことで救える命が多くあるでしょうから、1年間繰り返してきたことですが、政治家はしっかり仕事をしてもらいたいと思います。

合掌