遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

ひろゆきの「標準」がろくでなしの思い上がりだということで...

ひろゆきが自身のYoutube動画で、沖縄の辺野古反対派(座り込んでいる人たち)について、沖縄の人なのか内地の人なのか言葉を聞いていると微妙だと言っていて、どうも内地の人なのかなというニュアンスを伝えている。

その流れで「沖縄に人って、きれいな日本語にならなくて、文法通り喋れないんですよ(だから反対派の人たちの言葉を聞いていると、どうも地元の人じゃないような…印象)」みたいなことを言いたいようなのだ。

〇反対派がどこの人間であろうが、問題なし。沖縄に行かなくても私は辺野古基地反対派だし、現地で座り込みを続けている人が誰であろうとどんな形態でもまったく問題ない。

〇沖縄の人が、標準語の文法通り喋れなくても問題なし。明治以降に、関東・中部地方辺りの言葉を標準語に決めた標準語(?)なのだから、先祖代々ずっと関西にいる私だって標準語でしゃべれないし訛ってるし、話し言葉はそういうものだから問題なし。

〇能や狂言や歌舞伎や落語に接したことがあるのか?あれのどこに標準語の文法があるのだ?標準じゃないところに文化があるのだし、よく分からないところに文化的で荘厳なことが存在するのだ。

〇そもそも、生まれた場所や、話し言葉を揶揄するのはそれは差別だから、ひろゆきは非難されるべきだ。「鼻の形がぶさいくでデカいとか、目が細くてつり上がってる」みたいな容姿をいじるのと同じで、いやしくも言論人・文化人枠に入っている人間がやってはいけない差別だ。

〇自分の言葉や、社会的地位や、容姿や、収入などがスタンダード(標準)だという思い上がりは、少なくとも心の中に閉じ込めておいて他人を差別する武器や道具として使うなよ、ろくでなしが。

〇基地があることの方が一部の沖縄の人のためになることもあるだろうが、基地がなくても沖縄の経済が成り立つことの方を最優先すべきだ。基地の代わりにテーマパークがある方がずっとためになる。青い空と青い海ときれいな空気の温暖な観光地として生きていける島なのだから。

ということで、ひろゆきのようなろくでなしを罵倒する文化は全世界標準だということで、お後がよろしいようであります。

 

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