遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

英国のエリザベス女王が逝去されました

英国のエリザベス女王が逝去されました。1952年の即位から70年もの間、英国の顔として世界中に親しまれたお方でした。

私が生まれる少し前に、エリザベス女王が誕生していましが、子どもの頃に彼女が国王だというイメージはありませんでした。おとぎ話の国王は、髭のあるお腹の出た男性というのが典型でしたので、女王と国王は別物だと思っていました。女王(クイーン)もプリンセス(お王女)の違いもよくわからない子どもでした。

エリザベス2世が英国国王になった経緯は、以下のとおりです。
エリザベス女王の伯父にあたるエドワード8世が、皇太子(当時は王太子という呼称)時代から交際のあった離婚歴のあるアメリカ人女性ウォリス・シンプソンとの結婚を望んだことから、国王の地位を弟の弟のジョージに譲った形となりました。

ジョージは、1936年にジョージ6世としてイギリス国王に即位し、1952年にはその長女であるエリザベスが「エリザベス2世」として即位しました。

十代後半の頃のエリザベス

私はエドワード8世が退位したエピソードを、「国王の地位を捨てて愛を貫いた」というロマンチックな話(周辺が結婚に大反対したとか諸事情もあったようですが)として大人になってから知ったのですが、国王でもダメなものはダメなのようで、そこが独裁者ではないところなのですが、愛を貫くなんて「偉いなすごいな」というよりも、国王の地位を捨てるなんて「もったいないな」といったような下世話な気持ちで受け止めていたことを懐かしく思い出します。

また、女王の長男であるチャールズ皇太子のダイアナ妃に対する心変わりや彼女への王室の冷淡さについても、ダイアナ妃のファンであった私には信じられないエピソードでした。

エリザベス女王が初来日された1975年、私は京都から奈良へ向かう近鉄沿線に住んでいたのですが、女王が京都から奈良へ向かわれた日に近鉄電車の車窓から見た警備のようすにとても驚きました。まだ高架になっていなかった沿線に、等間隔に無数の警察官が配置されていて驚いたことを今もよく覚えています。エリザベス女王のお姿は見られなかったのですが、その時が、彼女と唯一のニアミスの機会だったのでした。

とまあ、紆余曲折のあった英国王室に70年も君臨されていたエリザベス女王で、泰然自若とされた大きなお方でした。まったくもって国葬に相応しいお方でありました。

黙祷

戴冠式(1953年)