遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

国葬と安倍のソファ

上の写真は、安倍晋三元首相がオーストラリアからの政府関係者から官邸で表敬訪問を受けた時のものです。

安倍とゲストの座るソファが違いますが、座面の高さだけでなくファブリックの質感も差があるようで、なにかゲストを見下しているように感じられます。

官邸の誰かがそういう席を用意したのかもしれませんが、「これ差をつけるのおかしいだろ!」とそれを変更させなかった安倍の良識が問われますし、安倍がそのように指示したのだとしたらあまりにも差別的で、ゲストに嫌な思いをさせたい狙いがあったのでしょう。

上は、安倍と韓国の外務大臣との会談。ソファの違和感はそのままです。別の機会に、韓国の野党の要人が訪問した時にも同じソファのしつらえだったようで、このことについて韓国の一部メディアは批判をしたようです。

 

オーストラリアの女性の要人、韓国の女性の要人だからソファに差をつけただけではなく、上の画像のように中東からのゲストらしき男性にも、同じくソファに差をつけています。

上のエチオピアの副首相にも差をつけています。

 

しかし、さすがにアメリカのペンス副大統領は同じソファに座れたようです。

IAEA国際原子力機関の事務局も安倍と同じソファです。IAEAは下にも置かない、というのは納得できます。

岸田首相曰く、歴代最長の首相で、日米関係を基軸とした戦略的な外交を主導するなどの業績を残した安倍首相は、国葬で弔うに相応しいリーダーだったそうですが、なるほどソファ一つ取り上げてみてもなかなか戦略的だったと思います。

しかし、残念ながら「礼節」を微塵も感じさせない、ある意味差別的ととらえられても仕方がないソファ外交だったと思います。

このソファの違和感は、その後官邸では取り除かれたようですが、これに限らず、まったくもって安倍時代の数々の官邸オペレーションは国辱ものだと思わずにはいられません。

安倍と統一教会との関係性に端を発して、安倍政治のひどさに多くの国民が気付き出して、国葬反対派が賛成派を上回って来たのかもしれません。そういう意味では、国葬問題の意味はあったのかもしれません。