遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

デヴィッド・ボウイも「絶対におかしいよね?」と世直し発言していましたが…

デヴィッド・ボウイ(1947-2016)は、2016年に69歳の誕生日を迎えた2日後に亡くなりました。

最近彼がMTVのインタビューに答えている動画を偶然目にしたのですが、黒人アーティストをフィーチャーしないことに関してMTVに柔らかく「絶対におかしいよね?」と逆質問していました。

時は1983年で、ボウイはすでに活動拠点をイギリスからアメリカに移していた時代で、彼の年齢は30代半ばでした。当時MTVが黒人ミュージシャンを取り上げていなかったようです、そういう時代だったのかなと驚かずにはいられません。


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もし当時、この発言を黒人たち自身がしていたらどうだったか分かりませんが、海外からやってきたアングロサクソン系の典型でもある金髪の白人スターが、ゆるぎない心でさりげなくMTVに逆質問したことのインパクトは少なくなかったように思います。

たとえば、なにかの映画賞などで、「今回の受賞者は白人に偏り過ぎだ!差別的だ」などと黒人の俳優や監督が発言するのに、私は「それはちょっと言い過ぎで、たまたまそういう時もあるだろうに」と思ってしまいます。(これも偏見かもしれませんが…)

しかし、デヴィッド・ボウイが昔のMTVに対して抗議したことはまったく同意できることで、MTVが差別的な運営をしていることへの節度あるストレートな物言いだったと思います。

4、5年前でしたか、日本で発行されている女性向けのとあるファンション雑誌のことで、海外の街で見かけた女性ファッションに取り上げられている女子が、白人ばかりだとの批判をしているツイートを目にしました。

そのつぶやきのリプライでも、「(その雑誌は)いつもそうだね。有色人種の子は載せないね」「いまどきどうなの?」などという考えを示す人たちが多かったことを覚えています。

確かめるべく、dマガジンでその雑誌を見に行きましたが、確かに100%「まっ白」な雑誌でした。日本で、ツイッターの少数派女子からとは言え、「まっ白」雑誌と言われるのもなんだかイタイなあと私も思いました。

その時の街角の取材先がどこだったか忘れましたが、白人しかいない街角はまず世界のどこにもないでしょうし、有色人種でおしゃれな女性が一人もいない街角もないと思いますので、その雑誌のポリシーとして「まっ白」にしているのだと考えました。

掲載すべき有色人種を見つけるための取材をするべきだったと、今になってそう思います。

時が経ち、いまその雑誌はどうなってるか確かめましたが、ロンドンとパリの比較的有色人種が少ない街角取材で、少なくとも3人の有色人種が取り上げられていました。また、他のページではアフリカ系の専属のようなモデルも起用していましたので、ここ4年でこの雑誌のポリシーも変化の兆しが見えているとほほえましく感じました。

いま日本では、表立っての発言はあまりないのですが、ネットを中心に匿名のヘイト発言が酷いことになっています。あれ、分かって言ってるのか、1行5円くらいで雇われてコメントを書いているのか知りませんが、日本の恥部のひとつであると感じまさしく恥ずかしいことであります。

デヴィッド・ボウイみたいに、yahooやTwitterにしなやかに抗議してくれるお方は出てこないものかと思ってしまいます。また、頓馬な発言を繰り返す橋下や三浦瑠璃や古市などに「黙れ」とか一喝できて効果のあるお方はいないものかとも。

政治家や評論家では何ともしようがないのですが、そんな適任者いないですかね。陛下では恐れ多いし、その前にありえないのですが、そういう人は存在しないですか。

ここ数か月、いままで世間でまったく知られなかったカルト専門のジャーナリストや大学教授や弁護士たちが多くメディアに登場していますが、彼らの人道的なバランス感覚は、カルト教団だけに限らない普遍的なものだなあと気付いている人も少なくないはずです。世の中ああいう人たちばかりだったら、日本はどれだけ立派になっていただろうかと思うと、やはりこの失われた10年は悲しい歴史をたどっているとしか言いようがありません。

ということで、政治や言論界や法曹界や教育現場やメディアや市民運動などの総合力で「世直し」を推進していくべきだということに落ち着きそうであります。