遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

日本への原爆投下は、人類史上他に例を見ない民族差別だった

今日は長崎の原爆忌です。

いまロシアがウクライナ侵略戦争で「核」をちらつかせていますが、核が戦争で使われた例は広島と長崎だけです。その前例が永遠になることを守り続けることが、人類に課せられた使命だと思います。

戦前の日本は大陸に侵攻し、領土拡大するためにおびただしい中国人の命を奪ってきました。一説では、先の大戦の日本人の戦死者は310万人(うち民間人80万人)でしたが、中国人は1320万人(うち民間人970万人)でした。

ざっくりいうと、中国人は日本軍の犠牲になり、日本人はアメリカ軍の犠牲者となったわけですが、原爆が落とされなかったらもう少し戦争は長引いていたかもしれません。

たしかに、1945年6月に沖縄を制した米軍が、その後日本上陸をして戦いを繰り広げたら、1945年に戦争は終わっていなかったかもしれません。しかし、今もアメリカが言うところの「早期に日本を降伏させるための原爆投下」というよりは、あれは日本人市民を利用した壮大な核実験だったと思います。

中国人を大量虐殺してきた日本軍、パールハーバーでいきなり急襲してきた日本軍、決して投降しないゲリラ的な日本軍、といったような理由が原爆を投下する大義名分が揃ったというところなのでしょうが、究極的には「アジアの悪の枢軸国」に核を使っても、後々白人大国の歴史に泥を塗られることはないと踏んで原爆を投下したと思います。

日本への原爆投下は、人類史上他に例を見ない民族差別だったと思います。アジア人やアフリカ人相手なら平気で核を使用するのだろうなというのは、今でもそれこそ肌感覚で感じられるところです。

少なくとも日本は二度と過ちを繰り返してはならないでしょう。

黙祷