遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

淀川長治自伝

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淀川長治自伝〈上・下〉 中公文庫
淀川 長治 (著) 価格: 上巻 ¥857 下巻 ¥754 (税込)


私は、神戸とさほど遠くないところで暮らしているが、新開地には行ったことがない。

新開地界隈は、かつては花街と歓楽街がひとつになった何とも魅力的な、

港町にある、オアシスのようなところだったようである。


淀川長治は、神戸新開地の置屋の倅として、5歳のときから毎週映画を観ていたという。

要するに、花街のぼんぼんだったわけである。


私は、「ララミー牧場」(1960年から数年TV朝日系で放映)という、

TV映画の解説者のおじさんとして、淀川と初めて出会った。

番組の最後に、当日の感想を短く例の調子でお話した後、

手をニギニギして「さいなら」と関西弁で1回だけ言っていたような記憶がある。

このおじさんの最後のあいさつだけ観ていた、本編は西部劇で、子どもには退屈であった。


その後、1966年から始まった「日曜洋画劇場」の解説者として、

亡くなる1998年まで、全日空ホテルで生活をしながら、

最期の「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」まで、

この番組を続けた誰もが知る有名人の一人であった。


彼は、「日曜洋画劇場」では、大甘の解説者であったが、

人間も映画でも、何かどこかひとつでもいいものがある、という自論と、

劇場に足を運んで洋画を観て、みな平和に楽しく暮らしてほしいという願いを、

自らの番組解説に託していた。


私は、中学時代にB級イタリア西部劇(マカロニ・ウェスタン)から洋画に出会い、

結婚して子どもが生まれるまで、20年間、映画館に通い詰めた青春時代であった。


映画少年の私に、最も大きい影響を与えてくれたのが、淀川長治であった。

彼の書いた映画雑誌の評論や、映画に関する彼の著書を読み、

メディアで話したことは、可能な限りチェックした。

TV解説で、映画監督を「すごいですねぇ、こわいですねぇ」と解説すれば、

その監督の新作ものがやってくれば、それを観に行った。

双葉十三郎の「ぼくの採点」が低くても、淀川の評価が高ければ

(事実そういう現象が当時あったが)、私は、映画館に足を運んだ。


解説者としては「大甘」だった淀川であったが、

評論家としては、手厳しいものがあった。

ひとつくらい良いものがあっても、評論家としては、さすがにそんな作品は認めなかった。

「こんな映画なら、中学生でも撮れますねぇ。」などという評論を目にしたら、

私なら、映画監督を辞めないまでも、褒められるまで努力するであろう。



映画館に足をあまり運ばなくなった頃に、

淀川長治自伝」(上・下)を、ハードカバーで購入して、一気に読み終えた。


淀川長治のすべてが詰まっている、遺書を読むような気持ちで購入した。

もっともこれを読んだ後、淀川は10数年ほど生きていたのではあるが。


彼と出会わなかったら、チャップリンフェリーニヴィスコンティの映画と、

私はどのように向き合っていただろうかと思う。


映画と出会わなかったら、私はどのような人間になっていただろうかと思うと、

慄然とする。

人間は素晴らしい生き物である、ことが分からないまま生きていたかもしれない。


映画のおかげで、淀川長治のおかげで、今の私が在る。



  悲しいことを忘れるほど
  私は嬉しいことがいっぱいで
  今日まで生きてきた。

  人生は何か。
  人間の使命は何か。
  そんなむつかしいことを考えなくとも
  互いに「うれしかったなぁ」と
  言い合える社会が一番幸せ。

  淀川 長治