ブログを開設して、170記事めである。
いままで、まったく自身の仕事の話はしてこなかったし、
現役のうちは、自分の生業(なりわい)の詳細を記事にする気はない。
第三者が見て、面白くない職種ではないと思うが、当面隠しておくことにする。
いいブログには、ブロガー自身の仕事のことを題材にしているものが少なくない。
私のお気に入りにもそれがある。
プロの仕事振りを、苦労・成功・切磋琢磨・失敗などを、読ませてもらって、
私は、しっかり働かなきゃ、とあらためて思うのである。
お遊びの領域を超えるくらいの、立派な趣味を持っている人のブログも多い。
彼らも、経済基盤を確立するため、職業人として自立しているのであろう。
しかし、自分の生活を支える経済活動だけのために、人は働いているのだろうか。
私は就職して、30年近く経つ。
オイルショックの後で、就職難の時代であり、
3流大学に入って、学業はまったくおろそかにしていて、
バイトとお遊びに明け暮れた学生時代だったにもかかわらず、
何とか仕事にありつけて、以来ずっと同じ企業に属している。
就職後の仕事の変遷は以下のとおりである。
仕事の内容 ●→○→☆→●→■→◆→□
通勤した場所 ○→○→★→◎→●→●→☆
面白度 △→▼→○→▼→△→▼→○
ざっくりとした変遷であるが、同じ組織に属していても、
仕事の内容も、通勤する場所も、面白度も変遷していく。
入りたい企業へ入ったり、やりたい仕事をやれる人は、ほとんど存在しない。
希望の会社でどんな仕事をするのか、実際入社してみるまではよく分からないし、
一流企業より中小企業のほうが、やりがいのある仕事が見つけやすいかもしれない。
仕事が楽しくて仕方がない、というのも、長くは続かない。
しかしながら、人間を形成するのに、仕事は欠かせないと思うのである。
家事やボランティアも、もちろん仕事である。
苦労・成功・切磋琢磨・失敗などを繰り返して、人は成長していくと思う。
仕事とは、給料をもらうためにだけ、が目的ではなくて、
自分とは何者か、何をしたいのかを見つける手段でもあると思う。
悩んだり・認めてもらったり・叱られたり・褒められたり・喜んでもらったり・
無視されたり・気にかけてもらったり、まるで人生そのものである。
だからといって、決して、仕事に征服されて生きてはいけないと思う。
はじめから、仕事は自分の思い通りになるものではないと思っていないと、
つまらなくなるか、仕事に振り回されることになる。
余談だが、「仕事」を「恋人」や「パートナー」に置き換えても、同じことが言える。
「仕事=修行」だと思えばいいか、
報酬のついた修行だと思えば辛さは割り切れるか。
修行だから、投げ出さなければご利益(りやく)は必ず在る、
大物になり高級車に乗れ御殿にも住める、かもしれない。
フリーターもパートも派遣社員も正社員も、
他人のため、自分のために、不自由な長い修行を続けているのである。
名もなく貧しく美しく生きられれば、それでも結構人生は楽しい。
水曜日に、耐震強度偽装問題で証人喚問で国会に出頭する4人は、
何が楽しくて生きているのだろうか。
私のブログを読ませてやりたい(これは冗談)。
やってはならない仕事を通じて、金を掠め取ったりとられたりして、
大物になり、高級車に乗り、一等地での御殿暮らしが楽しいのだろうか。
まっとうに生きて、御殿に暮らしている人に失礼である。
きゃつら修行が甚だ足りない、国会へ出て来い。
特に総研の「U」は、絶対に逃げるな。
全国民挙げて、バカ面と逃げ口上を愉しみにしている。