遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

哀悼・前田憲男

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ピアニストで作・編曲家の前田憲男さんが亡くなられた、83歳だった。

1970年、私は高校2年生だった。「11PM」の特番だったか、生放送でパーティー形式(番組5周年パーティーか?)の番組内で、女性歌手がジャズのスタンダード曲を歌った。日本人歌手じゃなくて、ハワイかフィリピンか香港かあたりからやってきたエキゾチックな若い歌手だったが、これがとんでもない歌だった。

バックバンドは正確なリズムを刻んでいて、歌手はテンポを崩して歌うのだが、ずれたテンポはどこまでも収斂することなく、番組スタッフは最後まで歌わせなかったような気もする。まあ、私の知る限りテレビ史上最悪のひどいプロ歌手だった。

司会の大橋巨泉が「前田憲男のアレンジが難しかったのか、ひどいものをお聞かせしてしまいました」と会場を笑わせながら謝っていたのを今でも覚えている。翌日そのことが学校の教室でも話題になった。巨泉の番組でのコメントを私が再現すると、みなで笑った。

前田憲男は、大阪生まれだったからか、当時すでに私たち大阪の高校生に認知されていたジャズピアニストでアレンジャー(編曲者)だった。金曜11(イレブン)で巨泉とコントのような掛け合いをする何かのコーナー紹介タイムでも、彼は有名だった。

高校生の私は、前田のことを洒脱な大人だなあと憧れていた。巨泉らと同年で「昭和九年会」のメンバーでもあった。

その後もずっと亡くなられるまで、作曲者としてピアニストとしてアレンジャーとして彼の右に出るものがいない一流ミュージシャンであった。

謹んでご冥福をお祈りする 合掌