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あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

24歳の僕がオバマ大統領のスピーチライター?! /D・リット

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24歳の僕が、オバマ大統領のスピーチライターに?!  デビッド・リット (著), 山田美明 (翻訳)  光文社

本書「24歳の僕が、オバマ大統領のスピーチライターに?!」の著者デビッド・リットは、オバマ大統領のスピーチ・ライターだった。2009年に24歳でホワイトハウスに入り、その後の20代をホワイトハウスで仕事をしていた。

バラク・オバマが大統領だった時期は2009年から2016年の8年間だったので、リットはほぼその期間にホワイトハウスにデスクを持っていた。自分の能力を棚に上げると、誰もが憧れる職場、地球上でもっとも重要な場所にオフィスを持っていたことになる。

しかし、人もうらやむホワイトハウスの職員にもいろいろ悩みや失敗があり、若いリットがその公私に渡る一部始終を本書で包み隠さず語ってくれる。

私は、オバマの重要なスピーチはリットが受け持っていたのだと思っていたのだが、実はそうでもなかった。ホワイトハウスには8人のスピーチライターがいて、もっとも重要なスピーチである一般教書演説(毎年頭に議会で行われる)は、ライターの筆頭チーフがその原稿を作り上げる。そして、誰もやりたがらないスピーチが7番目のライターにまで下りてきて、その7番目のライターがやりたくない仕事をリットが受け持っていたのだった。

一般教書演説は、7週間の期間をかけて、政府のあらゆる機関やデータを駆使して作られるのだが、例えばリットがキャリア当初に担当した感謝祭のテレビ収録原稿は、一人で過去の原稿を参考にしながら上司のチェックを受けながら完成に持っていくのだった。

オバマ大統領がスピーチを行う機会は、時や場を選ばず実に多くを数え、大統領の仕事の大部分ではないかと思うほどで、当然に8番目のライターのリットにも出番は回ってくる。自分の作るスピーチは、ほかでもない大統領の人称で語られるべきもので、誰に向けてのものなのかを把握し、ファクトチェックを繰り返しつつ場合によっては創造的なジョークを組み込んで言葉を紡いでいく作業が詳しく描かれる。その頃にはもう、ホワイトハウスのスピーチライターをうらやましいとは思えないものだった。

本書の原題は「Thanks, Obama(ありがとうオバマ)」というだけあって、オバマのことも多く描かれている。オバマの悩みや不調や低迷や成功や喜びは、リットにもそのまま伝染する(プロフェッショナル!)。はじめは、名前さえ間違って覚えられていたリットだったが、オバマのことは最後まで緊張感をもって描かれている。興味深いオバマ固有の人物像、合衆国大統領のとてつもない仕事の重要さや責任の大きさが、スピーチライターのフィルターを通して雄弁に語られる。

リットは、やわらかい調子の厳かなスピーチ、時には大統領が吹き出すのをこらえられないほどのジョークを作り上げるのがもっぱらの担当だったが、本書の数多くの見事な比喩を駆使した大統領や政府の仕事についての描写もとても巧みで、スピーチライターの真骨頂がそこにあった。

リットの成功をおさめた胸のすくスピーチも収められている。少しずつ重要な演説の担当を任されることも増えてきて、ホワイトハウスを去ることを決めてから担当が回ってきた演説は、上司のチェックは全く入らなかったし、世界一のスピーカーであるオバマはそれにより大喝采を浴びたのであった。

また、最高裁によって全米(すべての州)で同姓婚が認められた時の、ワシントンDCの「歓喜」の様子が描かれている章は印象深かった。偶然だが、本書を読んでいる最中に休刊した新潮の雑誌のLGBTへの差別文章などは、まったくもって恥ずかしいの一言で、民度の違いをはっきり見せつけられたのであった。