主人公の高校二年生外村(とむら)は、ある夏の日の放課後、先生に言いつかって調律師板鳥(いたどり)を体育館のピアノへ案内することになる。それまで、調律という概念も調律師という職業も知らなかった外村は、体育館で遭遇した調律師の仕事に魅了され、その2時間ほどのあいだに、自分の漠然とした将来に光を見出す。
外村は、調律師になることを決心するのだった。
少し話はそれるが、昭和30年代、小学生だった私は、調律師が講堂の象牙の鍵盤が黄ばんだ古いアップライトピアノを調律している場に居合わせたことがあった。白いウールのハンマーと鋼鉄のピアノ線という、「羊と鋼(はがね)」で構成されるピアノを初めて意識し、プロの仕事ぶりの一部始終をじっと見ていた。
高校生の外村と違ったのは、目指すべき「森」やその入口が私にはまだ見えなかった。小学生の私には、まだ職業意識は芽生えていなかった。しかし、生来音楽好きで指が長い私は、ピアニストには絶対なれないと理解していたが、なりたい職業の10番目くらいに調律師が密やかに並んでいた。
外村は、高校を卒業した後、体育館で遭遇した板鳥という調律師に紹介してもらった専門学校に通い、調律師として板鳥の所属する楽器店に就職した。
ここまでで、本書のほんの前半のさわり程度。主人公は、あっという間に調律師になり、これからどんな物語が待っているというのか、多くの読者はそれから先が訝しくもあり楽しくもなるのだろう。
個人宅の調律に行く先輩に同行して、そこで出会った双子のピアニスト志望の女子高生と外村は、本作全編を通して特別な時間を共有することになる。3人の麗しい関係は、ロマンチックでメルヘンチックで読者の琴線に触れる。
巻末に、取材に協力してくれた調律師や演奏家への謝辞が示されているが、さまざまな場所に据え置かれたピアノの音の響き方についての描写は臨場感があり、普遍的で文学的な表現に成功している。著者は元々音楽の素養があったのか、特筆すべき描写力だった。
また、主人公の所属する楽器店の4人の調律師(外村を含めてすべて男)と社長(男)と事務員(女)の穏やかな個性も、繊細に心地よく描き分けられている。
一流演奏家から指名されるほどの器量を持ったコンサートチューナーでもある板鳥は、事務所にはほとんど顔を出さないが、彼がチューニングした楽器が多くを語るし、新米の外村に辛辣な秋野は演奏家をあきらめた過去があるが超速チューニングの腕前を持ち、外村を依頼先に連れ歩いてくれる柳(やなぎ)は青春ドラマに出てくるような典型的な仕事のできる良き先輩で心が和む。
本書の前に読んだ「蜜蜂と遠雷」に引き続いて、本書もピアノにまつわる人間模様を描いたもの。2冊はピアノへのアプローチが全く異なる個性的な物語で、続けて読んでもハレーションを起こさなかった。むしろ、続けて読んで正解だったと思った。
最近は私、ピアノ曲ばかり聴いている。