遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

終戦5年後の京都の女の子たち

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この画像は、1950年頃の京都市内で撮られたショットです。下の首都大学の準教授の方のツイッターに添付されていた写真です。

渡邉英徳‏ @hwtnv
終戦5年後の京都の子どもたち。1949年から51年にかけて駐留していたアメリカ海軍の司令官によって撮影されたもの。

これは京都市内のどこだろうと思っていたら、いまのその場所を特定してくれた京都の弁護士ツイッターが以下のもの。

■渡辺輝人‏ @nabeteru1Q78
現在の紫明通から比叡山方向を撮った写真のようです。古い住宅地図に「京都機業」も見当たるそうです。この通りは、戦後に疎水を埋め立てて作った通りなので、埋め立て前に撮ったもの、ということのようです。

京都は空襲がなかったので、終戦から数年たった当時、この写真のようにのどかなままです。

連なるのは民家ばかりではなく、機織り工場などがあったようで「京都機業」という英字の看板が異国情緒を感じさせますが、まだ米国の統治下にあった日本の風景でもあります。

右後方遠景の山の頂が、比叡山です。67年前のフィルムですが、発色が見事です。
コダックのカラーフィルムでしょうが、さすがは映画大国のフィルムであります。

この写真に写っている女の子たちは、いまは80歳前後の方が大半でしょうか。どんな人生を歩まれたのでしょうか。

それにしても、彼女たちの平和な微笑は、美しい背景にも似たのどかさに満ちたものです。