遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

役人の保身のための議事録

イメージ 1

私、かつて自分の勤め先で会議の議事録を書かされていた時があった。誰が何を発言したかをしっかり記述していた。

上層部が出席する会議だったが、中には何が言いたいのか理解に苦しむ発言者が何人かいて、それらを文章に起こすのに苦労した。

それでも「意訳」して、うまく言葉を操れる人間の発言として議事録に残してやった。本人はそれを見て、「おー、俺は格調高いこと言うとるなー」と図に乗って、また次の会議で意味不明なことを発言するので閉口した。
まあ、私は意をくみ取って作文をしてやったけど、当人の無能ぶりまで払拭しない作りにした。

また、天下りしているおっさんがいて、議事録の自分の発言のことを問い合わせてくる。
私はプロパーの発言は意訳してやるが、天下りには「忖度」せずに、ほぼ発言通り文字を起こす。当人は私が書いた議事録のドラフト(草案)を読んで、修正をかけてくる。

「私は、そこで○○という発言をしたか?」
「うん、してるよ。録音の通り文字に起こしているよ、聞いてみる?」
「あー確かに、でも、その部分は違った意味にとられないよう○○と修正してほしい。議長には了承を得ておくのでよろしく」

役人は、「私はその件でこういう発言をしてNOと言った」、みたいなことをしっかり残して身を護ることが身に沁みついている。私にすれば、天下りでやってきた墓場のような組織のそんなしょぼい案件で保身してどうするのおっさん、なのだが彼にはだめなのだ。

森友疑獄で、財務局が用廃で会議記録やメモの類を廃棄したというのは、うちにやってきた議事録をしっかり残したい木っ端役人の保身術の裏返しで、しっかり記録したけど見られたら責任問題になるから、はなから無きものとしているだけなのだ。

森友疑獄予算委員会での、あの佐川理財局長の絶叫に近い「用済みの議事録はございません」という答弁は、腰抜け財務省の泣き言なのである。安倍晋三ごときに我々のキャリアをズタズタにされてたまるか!という表れの絶叫である。

南スーダンで「日報のあちこちに〝戦闘〟と書いてるだろう!早く撤収しろよ!安倍!稲田!」と絶叫しているPKO部隊と正反対の行動だが、類型的でもあるのだ。