遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

予算委員会の形式を安保理のように

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午前中は、今年度の市の健康診断を今ごろ受診する。
受診後、ウォーキングを兼ねて、ずいぶんと遠回りして自宅まで歩いて帰る。
朝昼兼用の食事を終え、午後は衆議院予算委員会を見学。

民主党の玉木議員に
財政再建なんて無理。そのことについて総理が無知だということがよく分かった」との捨て台詞に当の総理が向きになっていたのが可笑しかった。玉木は正しいことを言っていると思ったけど、私。

ところで、今日の委員会には、黒田日銀総裁のほか横畠内閣法制局長官や上西UR機構理事長が答弁していた。初めてやってきたURの理事長は、答弁のたびに閣僚の前を通って答弁位置まで歩いていく。その歩く速度が遅くて(横畠も遅い)、答弁が歯切れが悪くて、無駄な時間が過ぎていく。

あの予算委員会の形式、何とかならないものかといつも思う。変えられないのだろうか。円卓会議にして、答弁者の後ろに官僚を配置して、丁々発止の議論を展開できないものかと思う。質問者と答弁者のすべてが座ったままで、自席から質問や答弁をする形式に変えた方がよい。ちょうど、上の画像の国連の安保理のような形式である。

おそらくは、不毛な委員会はあの委員会形式が、まずもってボトル・ネックになっているのだ。机の配列を変えて、議論の形式を変えれば、中身がもっと充実するように思えるが、気のせいだろうか。

それから、事前通告などなしでとことん議論してもらいたい。そもそも、議論を重ねていくうえで事前通告などナンセンスなのだから。

事前通告した質問に、想定できない答弁があるのだから、議論は予想不可能なところに流れていくものなのに、安倍はそんなこと聞いていないから答えられないという体たらくなのだ。だから無知だといわれても仕方がないのである。

もっとも、何から何まで大臣が認識しているわけでもないだろうから、念のために安保理のように後ろの席に専門家や官僚などを配置しておけばいいのだ。

質問者と答弁者のフリーの議論形式なら、麻生みたいに居眠りもしてもいられないだろうし(起きていても議論できないだろうが)、予算員会や決算委員会形式は何とかならないものかと思う。