遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

三つの寂しさと向き合う/平田オリザ

イメージ 1

ポリタスの戦後70年特集論文。http://politas.jp/
16日になって、鳥越俊太郎松尾貴史平田オリザの文章が新しく追加された。どれも素晴らしい。

今回は平田オリザの文章を紹介する。
「三つの寂しさと向き合う」平田オリザ (劇作家・演出家)2015年8月16日

冒頭、金子光晴の『寂しさの歌』の一説が紹介されている。
その詩で金子は、戦争に邁進していった日本が終戦後、その「寂しさ」の根本を“がっき”とつきとめようとする意欲が感じられないと、嘆いている。
戦後70年の今日、私たち(日本人)も、寂しさを“がっき”と受け止め受け入れなければなければと、平田は問う。

《さて、私たちはおそらく、いま、先を急ぐのではなく、ここに踏みとどまって、三つの種類の寂しさを、がっきと受け止め、受け入れなければならないのだと私は思っています。
一つは、日本は、もはや工業立国ではないということ。
もう一つは、もはや、この国は、成長はせず、長い後退戦を戦っていかなければならないのだということ。
そして最後の一つは、日本という国は、もはやアジア唯一の先進国ではないということ。》

その3つの寂しさに向き合うとは、要約すれば以下のとおり。
1 物を造って売るということから、目に見えないサービスを売ることが日本人の仕事になった寂しさを受け止める。
2 高度成長期は終焉して経済は衰退し、少子高齢化社会が目の前に迫ってくる寂しさと向き合う。
3 150年間、アジアに君臨してきた唯一の先進国日本は、もう唯一でもナンバー1でも亡くなった寂しさに耐える。

もう経済大国ではなくアジア№1ではないけれど、来るべき少子高齢化社会をなんとか克服し、近隣諸国に日本の持つ優れた英知やサービスを提供し、共存していくことをいま始めなければならないと私も常々このブログで主張している。

そのことを、寂しさを受け止めて厳しさを実感し克服しようよ日本人!と、平田はマイルドに言い放つ。そして戦後100年までの30年間のスパンで、冷静に冷徹に考えなければならないと以下のとおり結んでいる。

《そのときに大事になるのは、政治や経済の問題と同等に、私たちの心の中、金子光晴が「精神のうぶすな(※)」と呼んだ「マインドの問題」に向き合うことだと私は思います。
「寂しさが銃を担がせ」ることが再び起こらないように、私たちは、自分の心根をきちんと見つめる厳しさを持たなければなりません。寂しさに耐えることが、私たちの未来を拓きます。》

器用で行儀がよく賢くて協調性に富んだ日本人だから、平田の願いはきっと実現するだろうと、私は思うところであります。

※うぶすな(私の注)
生まれた土地の守り神。近世以降は氏神鎮守神と混同されるようになった。うぶがみ。うぶのかみ。うぶすなのかみ。