超党派の改憲派議員たちにより最近熱心に主張されている、96条(改憲手続)先行改正論には反対せざるを得ない。
憲法は、主権者・国民大衆の最高意思として、権力者たちを縛る法で、それだけに、政界における相対的多数によって容易に改正されてはならないように、あえて硬性に作るものである。
その憲法の拘束を受ける政治家(権力者)たちが、憲法から自由になろうとして改憲発議の条件を軽減しようとするなどということは、立憲主義の否定であり、国民主権に対する反逆に等しい。
しかも、この96条改正先行論は、まず96条を改正して改憲のハードルを低くした後に彼らが何をしようとするのか?についてほとんど語っていない。それは、一つには、他の改正内容について詰めて行くと改憲派内で意見が割れてしまうのでそれを避けて改憲派政党の大同団結を図っている嫌いがある。しかし、それでは単なる野合であろう。
また、主権者国民大衆が権力者たちを管理する道具である憲法の枠組みを緩めることだけを主張して、その後に、その緩んだ拘束の下で権力者たちが何をしたいのかを率直に語らないことは、現在の権力担当者による国民の権力の私物化以外の何ものでもない。
人類の歴史に対する冒涜(ぼうとく)ではないか?
: