遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

ビッグボーイ/京都のジャズ喫茶

イメージ 1

私が学生だった1970年代、京都はジャズの街だった感があって、ジャズ喫茶がいたる所にあった。

いたる所にあったのだが、ジャズに興味のない人には、ジャズ喫茶がどこにあるのかよく分からなかったと思う。
それは、私がお茶屋さんがどこにあろうと関係ないのと同じこと。

マイルス・デイヴィスがお気に入りのジャズ喫茶が「しぁんくれーる」。
マイルスはここのママさんがお気に入りだったのかもしれないが、ともかくこのジャズ喫茶はつとに有名で、
京都=ジャズ=しゃんくれーるという図式が確立されてしまうほどの、メジャーな存在だった。

ジャズ喫茶は、普通の喫茶店より敷居が高かったかもしれない。
お喋り禁止が暗黙の了解になっていて、ジャズが店内に大音量で流れていて、
空になったコーヒーカップを前に、何を読むでもなく見るでもなく、ジャズに聞き入っている客ばかりの店だから、
敷居はちょっと高いというか、入るのがはばかれるというか、異次元空間がそこにあった。

私は、ジャズ好きの友人と京都の多くのジャズ喫茶に行った。
ジャズを聴きに行くのではなく、ジャズ喫茶に行ったという足跡を残しに行くだけのことがほとんどだった。
ただし、日常の行動範囲内にあるジャズ喫茶には、一人でジャズを聴く目的でよく行った。

三条河原町近くにあった「ビッグボーイ」というジャズ喫茶には、よく通った。
地下室への階段を下りていくと、比較的大きい空間と、
JBLのスピーカー(D50S7R:上記画像)が私をいつも待っていた。
ウェイターはバイトだったのだろうか、口の形だけで「ホット」と伝えると、
唇の端を少し上げて頷くだけだったが、いつも感じのいい店員で、居心地のいい店だった。

私は決まって、店の奥のスピーカに近いところに座っていた、そのあたりの席がお気に入りだった。
レコードのリクエストは、店員に耳打ちするか紙に書いて手渡しだったかと思うが、
私はそのリクエストを一度もしたことがなかった。バイト先がレコード店だったので、
既知のアルバムはほとんど所有していたし、未知のレコードはリクエストしようがなかったから、
次にスピーカーの上のスタンドに掲示されるジャケットはどんなのかなと、
(そのアルバムが店内に流れている)未知のジャケットや音源を楽しんでいた。

コーヒー一杯いくらだったのか、一度足を踏み入れると時間の許す限りそこにいたのに、就職してからは、まったくそのビッグボーイへは足を向けなくなった。
いつのまにか、そのお気に入りの店も閉店となり、京都の他の名店も閉店してしまったようである。
いまや、ジャズ喫茶は死語に近い存在になってしまった感がある。

それから幾星霜、定年退職を迎えるような歳になって、ステレオを新調して、またジャズを聴くようになるなんて。
失った時間を取り戻そうとしているわけでもないのだけど、この歳になって感じ始めることができることもあるのだと、理由もなく嬉しくなってくる春の宵なのであった。


■京都のジャズ喫茶(70年代)
いんば/左京区岡崎入江町
インパルス/中京区河原町蛸薬師上ル
SMスポット/上京区寺町今出川上ル
カルコ20/三条通り蹴上西都ホテル
グレイプ・ジャム/祇園とみなが町
コットンクラブ/河原町六角BALビル横入ル
52番街/寺町通今出川上ル
ZABO/河原町三条上ル
ザ・マンホール/四条通り堺町東入ル
しぁんくれーる/河原町荒神口電停前
ジェル/木屋町高辻上ル
シロハウス/綾小路高倉西入ル
スイング/山科環状線なぎの辻
蝶類図鑑/河原町蛸薬師
ビッグボーイ河原町三条下ル
ふーんじゃらーむ/北白川伊織町
ブルーノート河原町三条下ル
マッコルーズ/浄土寺下南田町
ムスターシュ/河原町六角BALビル入ル
メルヒェン/白川電停前
YAMATOYA/熊野神社電停東入ル
REMA/熊野神社電停交差点前
ケント/烏丸丸太町角