遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

小澤征爾さんと、音楽について話をする/村上春樹・小澤征爾

イメージ 1
小澤征爾さんと、音楽について話をする    小澤 征爾・村上 春樹 (著)  新潮社

小澤征爾は、ボストン交響楽団音楽監督を1973年から2002年まで29年間務めた。
ボストン交響楽団は、夏にはタングルウッドというボストン郊外の避暑地で音楽祭を開催していて、
そこで小澤はオーディションに合格した世界中の若者を指導してきた。
詳細は拙記事「ボクの音楽武者修行」で。  http://blogs.yahoo.co.jp/tosboe51/7186981.html 
 
小澤自身も若い頃、指揮者の卵としてタングルウッドで合宿して指導を受けていた。
そのときの同室の年下の若い指揮者が、マーラーの1番と5番のスコアを持ち込んで勉強していたという。
 
 
本書「小澤征爾さんと、音楽について話をする」より
 
村上「小澤さんはそのとき既に、マーラーの音楽を聴いていたんですか?」
小澤「いや、ぜんぜん聴いたことなかった。(略)
  そのとき僕は彼に楽譜を見せてもらって、そこで生まれて初めてマーラーっていうものを目
  にした。そのあと僕もその二曲のスコアを取り寄せて、勉強しました。(略)」
村上「レコードを聴いたりというようなこともなかったんですね。ただスコアを読むだけで」
小澤「レコードを聴いたことはなかったですね。僕はその当時レコードを買うようなお金もな
  かったし、レコードをかける機械も持っていなかったし」
村上「初めてスコアを見てみて、どうでした?」
小澤「それはもう、すごいショックでしたよ。そういう音楽が存在したことすら、自分が
  それまで知らなかったということが、まずショックだった。(略)  こんなに必死
  になってマーラーを勉強しているやつがいたんだと思うと、真っ青になって、あわててス
  コアを取り寄せないわけにはいかなかった。だからそのあと、僕も一番、二番、五番あた
  りを死にものぐるいで読み込みましたよ」
村上「スコアを読み込むと面白かったですか?」
小澤「そりゃあ面白かったです。だってそんなの初めて見たんだもの。へえ、こんなスコアが
  あるんだって」
村上「それまでやっていた音楽とはまるで違う世界だった?」
小澤「オーケストラというものをこれほどまでうまく使える人がいたんだ、というのがいちば
  んの驚きだったですね。(略
)」
 
小澤とマーラーの出会ったころの心境について、村上春樹が引き出している一シーンである。
村上春樹が聞き手として素晴らしいのは、クラシックのプロではないのに、小澤の話が理解できている、
音楽を聴く時間がたっぷりある音楽好きだけであることにとどまらず、
小澤が思い出せないようなことなどを間髪をいれずに補足できるところにある。
そして、自分たちの対話を後に読む人たちがいて、その人たちのための対話を繰り広げられる手法を、
身につけていることが、作家として当たり前なのだけど、そこが素晴らしい。

小澤征爾は、ドクター・ストップがかかり、今年になって演奏会をキャンセルする事態になっている。
心配される事態になっている。
 
村上のインタビューは、2009年の暮れに食道がんの手術を受け、療養中の小澤に対して行なわれている。
休憩を取りながら、小刻みに食べ物で栄養を補給しながら、小澤は熱く語ったようだ。
 
小澤「マーラーを演奏したオーケストラとしては、僕らはわりに最初の方だったです。(果物
  を食べる)うん、これはおいしいね。マンゴ?」
村上「パパイヤです」
 
みたいな微笑ましい記述も出てくる。
 
 
村上は、療養して少し良くなった小澤が指導する、スイスでの若者たちの音楽キャンプに同行する。
ここでもオーディションに合格した若者たちが、アンサンブルの指導を受けに全世界から集まってくる。
ヨーロッパでの演奏会を目指して、1週間ばかりのキャンプで、音楽を作り上げていく課程が、
指導する小澤たちと、指導される若者たちの人と音が、村上によってスリリングにドラマチックに描かれている。
 
また、小澤の師事した、斉藤秀雄、カラヤンバーンスタインの音楽のディレクション(方向性)の違いが、
もう3人とも故人なので、ストレートに語られる。
また、小澤自身や他の指揮者や、グレン・グールド内田光子やその他の演奏家や、
オーケストラのレコードを聴きながら、小澤と村上は二人の世界に入り込んでいく。
そしてそれを読む私たちもその至福の世界に入り込める。
 
人生の幅を広めたい人に、ぜひお読みいただきたい1冊である。
マーラーが聴きたくなってくるはずである。