遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

想い雲―みをつくし料理帖/高田郁

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想い雲―みをつくし料理帖   高田 郁 (時代小説文庫)

 
不特定の人たちと小説などを廻し読みする、

買ったばかりの本を、私の家族が読む前に貸し出したりもする。

みおつくし料理帖シリーズ



に続く第三弾「想い雲」。

春先に、買ったばかりのものを、頻繁に会えない遅読の知人に貸して、

手元に戻ってきて、妻が先に読み、ようやく読了。

もう九月になってしまっていた。


  「よい季節になったな」

   二度めの「三方よしの日」が巡って来た朝。薄切りした蓮根を酢水に晒しながら、

  又次がつくづくと言う。

  「この十日の間に旨いものが増えやがった。根のものが殊に良い」

   本当に、と生姜を刻む手を止めて、澪は頷いた。

  「『いつも九月に常月夜』って言いますものね」

   気候が良く、食べ物の美味しい九月。だから、一年を通してずっと九月で、その上

  に月夜であれば、とは誰しもが願うことだった。


料理人澪と料理屋の主人又次の、何気ない日常をとらえた文章に、

四季を愛でる感性の豊かさが見て取れる。

「いつも九月に常月夜(じょうづきよ)」と、

初秋の悦びや、色づいていく季節への期待が、一言で言い表せていて見事である。


こんなにありがたい文章をざざっと読む必要はない、

ちょうど九月にこの段落に行き当たって、ゆったりと得をした気分になった。

この物語には、季節や旬を、常に意識させられる。

懐かしくてありがたいことである。


相変わらず、澪の周辺ではさまざまに人たちが、大小の人生を引っさげて、

それでもゆっくりと歩いていく。

三人称で書かれているとはいえ、登場人物たちの人間関係がストレートである。

おかしなけん制や懐のまさぐりあいがなくて、すっきりしているところが、

秋の空のようにさわやかなのが、相変わらず良い。


澪が工夫を凝らす料理も、相変わらず健在で順調。

お江戸には鱧(はも)を食べる習慣がなかったが、

食材自体も手に入らなかったお江戸で、

敢えて鱧のすばらしさを広めたいと思う澪の心意気も、見上げたもので、

まさに垂涎の逸品が、庶民的な価格(ここが肝心)で供されるのである。


鱧のシーズンは終わったが、美味しいいい季節になった。


【目次】

   豊年星─「う」尽くし

   想い雲─ふっくら鱧の葛叩き

   花一輪─ふわり菊花雪

   初雁─こんがり焼き柿