遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

心星ひとつ/高田郁

イメージ 1

 
心星ひとつ―みをつくし料理帖   高田 郁 (ハルキ文庫)


みをつくし料理帖」シリーズ、数えて第6弾である。


かつて私は、ひとつの憶測とひとつの疑問を呈した。

「この作家は、物語を書くことと同じくらい、料理が上手に違いない。

新しい料理の試行錯誤&創作ディテールは、実践しないと描けないものだし、

その証に、巻末にはそれぞれのレシピまで付いている。」

「小松原は、第1作から飄々と登場するのであるが、

作者の高田は、はじめから彼を「御膳奉行」として仕込んでいたのだろうか、

だとしたら何という先を見越したことなのだろう。

逆に、途中で彼を御膳奉行に仕立て直したのだとしたら、何という柔軟性なのだろう。」

この憶測と疑問の当否と回答が、巻末付録の「みをつくし瓦版」で明らかになった!

私のブログを読んだ作者か編集者が、瓦版を設けてくれたような気がする。


さて、今回の「心星ひとつ」とは何を象徴しているのだろう。

「心星(しんぼし)」とは、天空の中心に輝く星、北極星のことを指す。

今作では、主人公の料理人澪(みお)の心はちぢに乱れるのである。

シリーズ6作まで来ても、吉原で太夫となった幼馴染みの野江の身の上も、

恋焦がれる小松原との関係も、音信不通になったままの元奉公先の若旦那の行方も、

料理人として切り盛りしている食事どころ「つる家」の店の規模も、

ほとんど進展がないままだった。

それが今作になって急に激しく動き出し、澪の心も乱れるのであった。

そんな悩める澪に、若き町医者永田源斉は静かに語りかける。

「悩み、迷い、思考が堂々巡りしている時でも、きっと自身の中には揺るぎないもの

が潜んでいるはずです。これだけは譲れない、というものが。それこそが、そのひと

の生きる標となる心星でしょう」


私の望む澪の先行き、つまり、恋焦がれる小松原と添い遂げるようなことにはならない予感がする。

「心星」が、澪の心の中にはっきりしてきたような気がするのである。

私の推測がはっきりするには、次回作を待たねばならない。