遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

真鶴/川上 弘美

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 真鶴      川上 弘美 (文春文庫)

12年前に夫の礼は失踪した、「真鶴」という言葉を日記に残して。

京は、母親、一人娘の百と三人で暮らしを営む。

不在の夫に思いをはせつつ新しい恋人と逢瀬を重ねている京は

何かに惹かれるように、東京と真鶴の間を往還するのだった。

京についてくる目に見えない女は何を伝えようとしているのか。遙かな視線の物語。


川上弘美の作品を読むのは、はじめてである。

「真鶴」は、私こと京(けい)が語る一人称の作品で、

娘の百(もも)と母親の3人暮らしの家族の肖像である。


川上の文章は短い、短いがたたみ込むような勢いはなくゆったりとした不思議な感覚。

物語の輪郭はきわめてぼんやりとしていて、

東京の3人暮らしの生活はどうにか現実感がうかがえるが、

真鶴の海と対峙した京とその周辺は、ファンタジーのようである。


主人公と娘と母親との関係は、ディテールまで書き込まれていて、

母子の名前が、数の単位「京」と「百」なのも面白くて、リアルな感じで、

失踪した夫の思い出や妻子ある恋人との関係は不安定で、ホワンとした感じである。


詩のボクシング」の審査員としてにこにこしている川上、

それは、ホワンとしたイメージで、それよりほかに私は彼女をよく知らない。

この作品(2006年刊行)の主人公は、当時40代半ばの物書きだから、

常に主人公と川上はイメージがオーバーラップしていた。

センセーショナルな出来事など無関係で、微笑が耐えない穏やかな感じ。

でも、だけでなく、生身の人間を描き、

きれい事だけでは済まされないところにまで、筆は及んでいる。

物書きになるには、こういった覚悟が必要だと、凛とした姿を見せ付けられた。

テクニックであるようで、そうではないように感じるのである。