夜の谷を行く 桐野 夏生 (著) 文芸春秋社
久々に読んだ桐野夏生の小説「夜の谷を行く」のご紹介。
啓子は1970年代に5年間の刑期を終え、いまは余生をひとり静かに暮らしている。平日の週4日はジムに通って体を動かし、後の3日は図書館で借りた本を読んで暮らす生活の連続だ。
啓子が連合赤軍の元メンバーだったことを知っているのは、実の妹らごく限られた人たちだけ。その妹とは、活動家だったことが原因の諍いを繰り返し徐々に距離を置かれていく啓子。その彼女の、老後の入り口に差し掛かった生活に、ある日少し変化が起きる。
そのときから、彼女が活動家として山にこもっていた当時の生活が生々しく脳裏によみがえってくるのだった。
今は静かに暮らしているとはいえ、どこにでもある平凡な名前であることをさいわいに、過去を隠して半ば隠遁生活のようなことをしている啓子は、元同志で夫だった男や、山岳アジトから手に手を取って逃げた同志の女性と再開し、最終的には接触を拒んできたはずの若いフリーライター古市と、当時のアジトだった迦葉(かしょう)ベースを訪れることになる。そこで彼女を待ち受けていたのは…。
桐野は私よりわずか2歳年長であるだけだが、関西から出ることのないノンポリでシラケ世代の私より遥かに連合赤軍事件を身近に感じていたであろう。構想10年、連合赤軍の元関係者に取材を重ね本書を春先に上梓(もともとは、月刊誌「文芸春秋」の連載小説だった)した。
連合赤軍のメンバーだった主人公啓子の思い出に登場するのは、実在の連合赤軍メンバーである。ほぼ事件を忠実に描き、啓子の周辺や現在をフィクションとしてそこに織り込んだ建付けになっている本作は主人公啓子の一人称で書かれている。山岳ベースリンチ殺人事件当時のアジトでの生活や事件は、一人称の特長として語り部である主人公の見聞きしたことだけに限られるので、生々しい描写部分はないが、事件の全体像は柔らかく掴める。
大きな重い過去を持ちながら、貧しく端正な現在を暮らしながら、確かにやって来るからっぽの未来を受け止める語り部の啓子の心象風景はとても印象的で、初老の身にはいささかの親近感も感じる。
人の一生は、夜の谷を行くような険しい旅のようなものかもしれないが、夜の谷に朝日が差し込んでくることもあるのである。