遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

グラン・トリノ/クリント・イーストウッド

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スティーヴ・マックィーン扮するブリットが乗っていた車が、

1960年代に一世を風靡したフォード・マスタング

さしものアメ車嫌いの私でも、ブリットのマスタングは別物で、

ブリットの恋人役のジャクリン・ビセットが乗っていた、

黄色いポルシェ356と並んで、子どもの頃から大好きな車であった。



これがフォードの車の名前だとお分かりの方は、かなりのクルマ好き。

アメ車嫌いの私は、知らなかった。


イーストウッド演ずる主人公は、元フォード工場の組立工。

自分が組み立てに携わった72年製のフォードのグラン・トリノを所有し、

余生を悠々自適で暮らす老人なのだが、

参戦した朝鮮動乱での戦いで、精神的に傷ついて、

その傷が癒えないまま老後が来てしまった男である。

その心の傷のせいで、とんでもなく頑固なじじいで、

東洋系の人たちを「米食い人種」と蔑み、

あろうことかその米食い人種の国から来たトヨタに勤める息子とは、

その家族も含めてまったくそりが合わないのである。


差別的で口が悪くて、糞じじいなのに、

イーストウッドが演じると微笑ましいのはなぜなんだろう。

自分以外にみな平等に手厳しく描いているからなのだろう、

何しろ、自分の子どもからその配偶者から孫から、

近所の東洋系やアフリカ系住人から、バーバーのアイルランド系のオヤジまで、

主人公にとっては、とにかくみな糞ッタレの大馬鹿野郎ばかりなのである。

その矛先のきわめつきが、教会の若き神父。

聖職者に向かって、ここに書くのもはばかれるようなことを、

直接神父に向かって言ってしまうのである。


そんな主人公の隣の家に、ベトナムラオス・中国の国境あたりに住む少数民族の、

ラオ族の家族が引っ越してくる。

そのラオ族には、若い姉と弟がおり、彼らの従兄弟が属する不良グループたちと、

敵対する関係に陥ってしまうところから、

イーストウッドを巻き込んで、ストーリが歩き出していくのである。


話の仕立て方は、

元兵士で元自動車工のマッチョで頑固で差別的な隣のじじいとのかかわりの中で、

シャイで未熟な一少年が成長していく過程を扱った青春物語。

2時間を飽きさせずに私たちをスクリーンに惹きつける力は、

いまやイーストウッド監督が当代随一であろう。


途中で、隣の少年の恋とグラン・トリノに関係する挿話で、

涙が止まらなくなりそうな場面があったのだが、

すぐ話が展開して、クライマックスに突入してしまったので、

ほんわかとした余韻を満喫することなく、話がドライブしていくのである。


監督兼主演の、静かな声と身のこなし方とはうらはらに、

物語はマスタングのように、いや、グラン・トリノのようにドライブしていくのである。


いくら糞じじいでも、イーストウッドはかっこよくて、

自分で演出してかっこよく撮るのって、ちょっとずるい気もするが、

それが監督の特権と言えば特権であるし、面白い映画なら何も文句はないのである。