遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

バベル/アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ

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あまり幸せとはいえない4つの家族の物語である。


■モロッコの家族

痩せた地域で羊の遊牧をして暮らす、貧しい夫婦と子どもたち3人の家族。

狼を追い払うライフルを手に入れた父親が留守の間に、

幼い少年である息子たちが、ライフルを試し撃ちするという禁じられた遊びを始める。

あろうことか、その標的に眼下の渓谷を通過する観光バスを選んでしまったのである。


アメリカの家族

ブラッド・ピットケイト・ブランシェット演じる夫婦は、冷めきった二人の仲を修復すべく、

男女の幼い子どもたちをベビーシッターにまかせて、モロッコに観光に来ている。

二人は観光バスの中でも、来し方を振り返り、夫婦の修復作業を続ける。

その二人の乗った観光バスこそ、あろうことか、

あのモロッコの羊飼いの少年たちのライフルの標的になった、不幸なバスだったのである。


■メキシコの家族

ガエル・ガルシア・ベルナルが演じるのが、不法滞在で長きにわたりアメリカで暮らす家政婦。

大邸宅に通って、赤ん坊の頃から、母親に代わって育て上げた二人の女の子と男の子がいる、

その孫のように可愛い子どもたちの母親が、ケイト・ブランシェット

家政婦は、モロッコ観光に出かけた夫婦の留守宅を預かっているのだが、

夫婦は事件に巻き込まれたようで、メキシコに残した実の息子の結婚式を延期してくれと、

ブラッド・ピットにモロッコからの長距離電話で懇願される。

しかし、家政婦はあろうことか、預かった幼い二人を甥っ子の運転する車に乗せて、

実の息子が待つメキシコへ向けて、国境を越える旅に出発してしまうのである。


■日本の家族

母親を不審死で亡くした、ろう者の女子高生役の菊地凛子は、

高校生活最後のバレー・ボールの試合で、審判のミスジャッジに激しく抗議して退場処分をくらう。

試合に負けたうっぷん晴らしに、部活も終わった開放感も手伝って、

凛子は、夜遊びやドラッグや男たちを性的に挑発するイケナイことをやりはじめるのである。

そんなとき、父親の役所広司の周辺を刑事たちが嗅ぎまわることになっていく、

あろうことか、モロッコで少年たちがバスを狙撃したライフルの出処が、父親だったのである。



登場する4家族のうち、日本とアメリカの家族は、

おそらく、役所広司やブラピやブランシェットの社会的地位が申し分なく、

物質的には裕福な暮らしをしている家族なのである。

一方、モロッコの電気も通じていない小屋で暮らす家族や、

母親が長きにわたりアメリカに出稼ぎに行ったままのメキシコの家族は、

自分たちが貧しいことにも気付かないほど、生活に追われているのである。

そんな富める者も貧しき者にも、神は平等に巧妙に不幸の種を植え付けてくれるのである。



戦場のピアニスト」のシュピルマンの家族に降りかかった不幸に比べれば、

「バベル」の四家族に降りかかった「あろうことか」と紹介した事件は、

人として生まれてきてある程度は覚悟しなければならない程度のものなのかもしれない。


ライフル事件でリンクするものの、時制が行きつ戻りつ逆転したり、

4家族の独立したオムニバスのような物語の進行の巧みさと、

それぞれの家族の肖像を、突き放すように私たちに突きつける感性。

メキシコの若き監督の才能に、私は感心した。

映画ポスターまでもが、素敵である。


東京の高級タワーマンションの最上階のベランダで、

抱擁し、手をつないで夜景を眺める静かな父と娘に、

世界中の人たちが心を動かされたに違いないと思うのである。