遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

おくりびと/滝田洋二郎

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おくりびと (第81回アカデミー賞外国語映画賞受賞作品。2008年)



家族が留守の間に、

TVで放送され我が家の録画機に保存されていた

おくりびと」を、ひとりで観た。


家族とTVを観ていて、涙が出てくるシーンに出くわすと、

それを察知されないために苦労するので、

おくりびと」はひとりで観た。


案の定、涙がぽろぽろよく出たが、

映画自体は、まあこんなものかという感じであった。


映画のベースとなった「納棺夫日記」を書いた青木新門について、

NHKの山根基代アナがラジオで話しているのをかつて聞いたことがある。

納棺師を志した青木氏の半生に触れ、

偶然に、青木氏の元恋人の父親の納棺をすることになったエピソードに、

とても感動したことをおぼえている。


なので、「おくりびと」という納棺師の映画が完成したと聞いたときは、

間髪をいれず、あっあの納棺師の物語に違いないと思った。

しかし、一般公開時に観ていた娘に質してみると、

元恋人の父親を納棺するという感動シーンはなく、

ストーリーは原作とは別仕立てにしたようであった。



さて、作品は想像していたより、終始明るく軽快な流れであった。

本木が納棺師として最初に手がけた、

若くして亡くなった美女への一連のお仕事ぶりは、

まさしく、冒頭の「つかみ(!!)」として成功していたし、

最後は感動的な盛り上げを狙っていて、メリハリもあって、

それがハリウッドで受け、アカデミー協会員にも通じたのだろう。


ただ、私と近い世代の映画監督、たとえば、根岸吉太郎(1950年生まれ)、

森田芳光(1950年)周防正行(1956年)などの作品と比べても、

滝田洋二郎(1955年)の作風は少し幼いと思った。


広末涼子の起用が失敗だったということは別にしても、

美しい大自然の中でチェロを弾く主人公や、

吉行和子と彼女に思いを寄せる笹野高史の2人の扱い方や、

主人公の父親にまつわる最後の盛り上げ方などが、

私にはなんだか大味で単調で浅くてつまらなかった。


山崎努余貴美子、この能天気な2人の存在感が、

作品に落ち着きを与えていたことが、せめてもの救いであった。


アカデミー協会員は、「天国と地獄」(1963年)、

「赤ひげ」(1965年)、影武者 (1980年)の

山崎努を憶えておいでだったのだろうか、少し気になった。


似た題材で、山崎努の主演した伊丹十三の「お葬式」(1984年)を、

見直してみたくもなった。