遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

ギルバート・グレイプ/ラッセ・ハルストレム

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ケーブルTVで録画していたものを、本日鑑賞。

観るのは2度目だったが、例によってよく憶えていなかった。


ただ、ディカプリオだけはよく憶えていた。

主人公の障がいのある弟役がディカプリオ。


10数年前に観たとき、彼をそれまで知らなかったので、

障がいのある役者が演じているのだと思った。

今考えると間抜けなことを思ったものだが、

それほど彼の演技は素晴らしいものであった。



助演男優賞にノミネートされた、むべなるかな。



ジョニー・デップの演じるのが、

タイトルにもなっている青年ギルバート・グレイプ


父親は地下室で首をつって突然自殺し、

父親の死後、砂浜に打ち上げられたクジラのようになった母親、

そして障がいを持った弟の面倒を見ながら、

アイオワの田舎町で、稼ぎはすべて食事代に消えていく貧しい一家を支えるのが、

ギルバートである。


ジョニー・デップの映画をそんなに観ているわけではないが、

このギルバートを演じた彼が一番だと思う。

やるせない青春を生きる家族思いの静かな青年役を、

故郷を捨てたくても捨てるわけにはいかない、

一心不乱に生きている若者像を、

落ち着いた演技で立派に務めている。


「あなたならこの町を出て行く心配のない男だったから不倫相手に選んだ」、

と言った女性が、自ら町を出るためにギルバートに別れを告げる言葉に、

「自分の子供たちをあなたのような男に育てたいわ」と感謝を込める。



映画の後半、貧しくとも穏やかなグレイプ一家に少しずつさざ波が立ち始めて、

アラン・パーカーとビョルン・イシュファルトの静かな美しい音楽が、

ギルバートの心の動きと行動とに見事にフィットし、私の涙腺を緩ませる。


詳しくは書かないが、これまた私は忘れていたのだが、

地の果てまでも続いて往くアイオワの道のごとく、

開放感と希望に満ちたラストシーンは、時代を超えて人の心を打つものである。



双葉十三郎の「ぼくのベストテン」では、

1994年のベストワンに上げられた作品である。