おとうと 幸田 文 (新潮文庫)
「おとうと」の姉と弟のそれぞれの学校への通い道、隅田川の堤が見渡せるはずである。
太い川がながれている。川に沿って葉桜の土手が長く道を述べている。こまかい雨が川面 にも桜の葉にも土手の砂利にも音なく降りかかっている。ときどき川のほうから微かに風を 吹き上げてくるので、雨と葉っぱは煽られて斜になるが、すぐ又まっすぐになる。ずっと見 通す土手には点々と傘・洋傘が続いて、みな向うむきに行く。朝はまだ早く、通学の学生と 勤め人が村から町へ向けて出かけて行くのである。
この桜並木の土手を利用するのである。
幸田文の分身というべき姉げんと、その弟碧郎。
姉と弟は毎朝、隅田川の土手を一緒に学校へ通っているのであった。
貧しき高等遊民のような父親と、
リューマチの持病で家事はげん任せの義母と、
その子どもたちである姉と弟の4人の家族を、
関東大震災のすぐ後の大正時代の東京に舞台をしつらえて、
古きよき時代と、多感な弟とそれを見守る姉の暮らしが綴られている。
実の母親を早くになくした姉弟は、父母の愛を享受することなく大きくなり、
しかし二人は信頼しあい、3歳の歳の差しかないのに、
まるで親子のようなむつまじい姿で、読者である私たちの前で暮らしてくれる。
弟は、ミッション系の学校を追い出され、仏教系の学校への入学を決めてくる。
この頃から、弟に病の暗雲が立ち込めてくる。
ね、そういう景色うっすらと哀しくない? え、ねえさん。おれ、そのうっすらと哀しいの がやりきれないんだ。ひどい哀しさなんかまだいいや、少し哀しいのがいつも浸みついちゃ ってるんだよ、おれに。癪に障らあ、しみったれてて。-」 よくはわからない。けれど、 陽のあたっているあちらに平常の世界があって、自分は丘の上にひとりすかすかと風に吹か れているという景色はよくわかる。
病弱のくせに狼藉ものの弟は、それでも自分の孤独やばかさ加減がよく分っていた、
丘の上のバカだと、自分のことを理解していたのだと思う。
私は、この印象的な頁をブログで取り上げようと、
標しの代わりに文庫の売り上げカードを挟んでおいた。
姉は、学校へ行きながら、父母の世話をして家事をこなし、病の弟の看病をする。
まだ二十歳にも満たないのに、学生で主婦で看護師の重荷を背負うげん。
それでも碧郎の回復に献身的な愛を捧げる。
碧郎の「ねえさん、誰か好きになったことあるの、ないの?」
との残酷な言葉に、哀しくて胸が痛む。
そして弟にせがまれて、げんは島田に髷を結ってやるのであった。
私たちの心の中に、永久に住みつづける姉と弟なのである。
同じタイトルを付けた作品がいま、劇場公開されている。