は、陸上競技が分らなくても楽しめる。
「 しゃべれどもしゃべれども」は、落語が分らなくても楽しめる。
「一瞬の風になれ」で、すっかり佐藤多佳子に酔いしれた私、
なんの事前知識もなく「しゃべれどもしゃべれども」を購入。
先に読んだ奥さんの「よかった」との感想を聞き読み始める。
主人公はB格:二つ目(A格:真打、C格:前座)の落語家。
真打や二つ目という格付けは、上方落語にはないので、
当然に舞台は東京である。
サブ主人公が、大阪から転校してきた小学生。
彼は大阪弁のせいで、東京で友達ができない、
いじめにもあっている。
著者の母方は大阪のご出身だったのか、
著者の夏休みは大阪の北摂(私の住む辺り)で過ごすことが多かったらしく、
完璧な、でも少し古風な大阪弁をお書きになる。
主人公の若手噺家は、このサブ主人公に落語を教える羽目になる。
本当は東京落語を教えて、大阪なまりを排除することを目論んでいたのだが、
所期の目的は少し逸れてしまう。
テニスの腕は完璧なのに、テニススクールの自分の生徒の前で、
しゃべれなくなってしまう、主人公の従兄弟。
セリフはしゃべれるけれど、フリートークはまったくだめな、
黒猫のようにしなやかで冷たい元舞台女優。
元プロ野球選手で、下駄のような顔つきで、体つきもしゃべり方も「暴力的」なのに、
マイクの前ではしゃべることがまるでだめな野球解説者。
主人公は、偶然集まった「話す」ことに問題がある4人に、
専門的な話し方教室ではなく、
落語を教えて問題解決を図ろうと奮闘する。
登場人物はほかに、主人公の育ての親である祖母、
師匠、兄弟子、サブ主人公の母親など。
主人公と彼を取り巻く人たちを、
佐藤多佳子は丹念に人物像を構築する。
人物の造形能力が秀でており、
彼らへの愛情が、並々でないところが美しい。
十河は、ほおずき市の日から、だんまり貝になっちまった。落語教室に顔は出す。た だ俺と目を合わせようとしないし、ほとんど口をきかない。 えらい嫌われようだ。 たしかに俺は不粋な男だ。髪は引っ張る、言いたい放題言う。いらないというほおず きを推しつける。嫌いなら嫌いでいい。はっきり嫌いだと言えばいい。喧嘩を売ってく ればいい。あの日のことはどう考えても十河が悪いが、なんだかんだ言い合いをすれば、 俺だってすまんの一言くらいは出てこないでもない。お互いにさっぱりする。
短いセンテンスで畳み掛ける話の展開が、
名人の落語のような調子である。
でも、読み手はそわそわせずにじっくり読める。
後半の息詰まるようなクライマックスと、
ラストのおだやかな時間の流れに、
良いいただき物を、ありがとうという気になる。
画像表紙に描かれた、登場人物たち。
いろいろ問題を抱えている彼らなのだが、
皆ほほえんでいる、
幸せそうに見える。