遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

一穂ミチの「パラソルでパラシュート」を一気読みしました

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パラソルでパラシュート   一穂ミチ (著)   講談社

一穂ミチの「スモールワールズ」があまりにも素晴らしくて、彼女の「一般小説」第2弾の本書「パラソルでパラシュート」を手に取りゆっくり楽しんだ。

主人公の美雨は、大阪城ホールのコンサート会場でスタッフとしてバイトをする芸人のと運命的な出会いをする。

美雨は、受付嬢として30歳にして定年を間近にする大阪の契約社員。「俺らとおもろいことして遊ぼや」と言うとほかの芸人たちも住むシェアハウスに、美雨も引っ越してきて彼らとほんわかとした青春を共有することになる。

本作の「つかみ」に相当する大阪城ホールでの二人の出会いは、読者を一気に物語に引き込む鮮やかさだ。

シェアハウスに住む売れない芸人たちの暮らしも、私がテレビやYoutubeなどで知る売れない時代の彼らの生活とほぼ同心円状にある。

食えなくて長期間バイトを続けていて、ネタ作りに悶々として、舞台の上に立っているとき以外はコンビの相方との軋轢を抱えているのだった。

大阪人(関西人)は、そういう芸人の世界のことを少しは分かっていて身近に感じていて、お笑いそのものの「話芸」との距離感や壁を感じていない不思議な人種であるように思う。

とはいえ、本作は上方漫才や上方落語を知らなくても、全く問題なく青春ドラマとして楽しめる。そもそも、主人公の美雨も大阪ネイティブではない若者だし。

「スモールワールズ」は短篇集で400m走6本みたいなテイストだったけれど、本書は中編小説だから5000m走1本てな感じ。少し穏やか過ぎるかな。いわば年齢制限なしの健全小説で、映画の視聴制限だと「G」、まるで朝ドラのように悪役が登場しないのが心地よい。

こういう毒っ気がないところが、全然大阪的じゃないようだけど、実はこういう「おもろいことして遊ぼ」的な居心地の良さがとても大阪的なのだった。わかるかなあ?わからんやろなア。