遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

点と線/松本清張

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  点と線   松本清張




二夜連続ドラマとして松本清張「点と線」が、

テレビ朝日系で放映されている。


私の書棚の新潮文庫「点と線」奥付には、

昭和51年(1976年)二十二刷とある。


私が最初に読んだ清張は、この作品だったことはよく憶えている。


しかし、第一夜放送を観て、

一部を除いてストーリーはまったく憶えていないことを確認。


憶えている「一部」とは、あまりにも有名な東京駅でのトリック。


15番線ホームに停車する博多までの特急「あさかぜ」に乗り込む若い男女を、

彼らの知り合いが13番線ホームから目撃する。

昭和31年当時でも、13番ホームから15番ホームを見渡せるのは、

つまり、13番線と15番線とのあいだに、

障壁となる列車が停車していない時間帯は、

1日のうちでたった4分間しかない。


ディテールは別にして、

この東京駅の男女ふたりの目撃場面だけは、

憶えていた。

(以下は、本日のTVドラマから書き起こす。)


その僅かな間隙をぬって目撃された男女は、

数日後の朝、博多湾の海岸線で死体で発見されるのである。


東京駅で目撃されたのが、

あまりにも不自然だとにらんだ博多の刑事と警視庁の警部補が、

男女は自殺ではなく事件に巻き込まれたとして、

協力して犯人探しを始めるのである。


政府高官と、高級官僚と、財界の大物達の連関した腐敗を舞台に、

巨悪の闇に果敢に挑む、正義感溢れる名もなき刑事の姿を描いた、

社会派とよばれる松本清張の真骨頂とも言うべき代表作である。



民主政治がはじまった、戦後間もない当時は、

戦後復興というに名を借りた、

国家が大きくなることに乗じた利権が絡みあっていて、

政府高官と、高級官僚と、財界の大物達の連関した腐敗は、

「疑獄」と称されて何度か昭和史の表舞台に登場した。


しかし、戦後、何年経とうが何も変わらないこの国のかたち。

むしろ、疑獄というスケールよりショボイ疑惑が、

21世紀になってもそちこちで見られることが、

なんとも情けない感じがする。




清張は死ぬまで、社会のひずみを題材にして、

社会の弱者に焦点を当て、作品を書き続けた作家であった、


「点と線」は女たちがその弱者として、悲しく登場してくる。

後半の今日の放送だけでも、ご覧になることをお薦めする。