遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

おじさんも楽しんで、頑張って生きている

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直近の芥川賞の選評。

「今回の候補作品、登場するのは、心を病んだ人、物書き志望、あるいは売れない物書き、
出版社勤務がほとんどです。
私は、やだなー、こんな人々だけで構築されている世界なんてさー、とうんざりしました」
山田詠美

「前回も思ったが、なんでこんなにビョーキの話ばかりなのか?
まるで日本全体がビョーキみたい」
池澤夏樹

「現代における生きにくさを描く小説はもううんざりだ。
そんなことは小説が表現しなくても新聞の社会欄やテレビのドキュメンタリー番組で
自明のこととして誰もが毎日目にしている」
村上龍



今年のはじめに見た にんげんドキュメント小田和正 58歳を歌う」は、

今、小田和正のコンサートにかける情熱を扱った良い番組であった。

小田のコンサートにつめかけるファンは女子と相場が決まっていた。


楽曲のよさに加えて、あの透明感のある声にうっとりする女性ファンは多い。

才能プラス人気がある男、やっかみ半分でとくに思い入れのある歌手ではなかったが、

この番組を見て、彼へのイメージがまったく変わってしまった。


今彼のコンサートに来る多くを、団塊世代の男の観客が占めていたのだった。

キャーッという黄色い歓声の女子がいなくなり、

オーッっという野太い声の男達が総立ちでコンサートを楽しみ、

それに小田が応えて、コンサート会場に長くしつらえた通路を駆け巡るのである。

もちろん女性もいるが、彼女達も孫が居る世代になってきている。


この前のつま恋での拓郎とかぐや姫の観客層もそれとほぼ同じであった。


私は彼らより少し若く、まだひと働きしなくてはならないのだが、

一仕事を終えて60歳定年を間近にむかえた彼らの、のびやかなこと。

会場の一角を占めた小田の同級生達も涙を流して彼の音楽を楽しむ。


小田は、まさかこんな「じじばば」相手にコンサートをする日が来るとは思わなかった。

昔の自分は、黄色い声援にちやほやされていて青かったなぁ、というようなことを語る。

彼らに応えるために、コンサート前はランニングの日々で本番に備える。


拓郎もかつてはスーツ姿で自分のコンサートに来る会社帰りと思しき男たちを揶揄していたが、

病を克服して60歳でつま恋のステージに立った彼は、あれでも精一杯サービスをして、

オッサンたちに投げキスまでたくさん奮発していたではないか。


生きにくいと思い、ほとんどビョーキと思われるような仕事をしてきて、

彼らは穏やかな楽しい次の人生に歩を進めつつあるのであろう。

そういう素材を扱った作品は、団塊の世代が書けばいいのではないだろうか。

芥川賞の選評に、

「今回は健全な温かいビョーキも克服した人たちを描いた良い作品が多かった」

と言ってもらえる様な時が訪れるかもしれない。


おじさんも楽しんで、頑張って生きている。