遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

第34回芥川賞「太陽の季節」を誰が選考したのか

太陽の季節がやってまいりました。数日前からわが家のエアコンは、27度設定で午後の数時間を稼働させられています。

さて唐突ですが、太陽の季節という小説で第34回芥川賞(昭和31年/1956年1月23日決定発表))を受賞したのが石原慎太郎です。

当時石原は23歳で、1955年7月に文藝春秋社の「文学界」に掲載された原稿用紙99枚の「太陽の季節」で受賞し、華々しく文壇デビューしました。

ウィキペディアによると「ストーリーは石原慎太郎の弟・石原裕次郎が、ある仲間の噂話として慎太郎に聞かせた話が題材になっているという。」とあり、1956年5月に「太陽の季節」は、南田洋子長門裕之主演で映画化されました。その映画ポスターには、石原慎太郎裕次郎の名前がクレジットされていますから、どこかに出演していたのでしょう。

菊池寛が生きていたら、「太陽の季節」をどう評価したでしょうか。当時の芥川賞選考委員は、この作品をどのように評価していたのか、各委員の選評の概略を読んでみました。

「作家の将来性があるか?」という点でもこの小説家は未知数なのですが、実際「太陽の季節」以上に話題になった作品はないようですし、石原慎太郎は政治家になり下がったんでしょう。

当時の選考委員会では、「これは新しい」と強く推す委員に釣られて、「ムム確かに!この新しい波に乗り遅れないようにしなくちゃ」と、考えを改めた委員もいるような選評(選考後の感想)になっています。

それにしても、大家が居並ぶ選考委員会で、選評を読んでみれば「選考作なし」だった回のような気がします。一番若い選考委員が井上靖(48歳)というのも、なんだかすごい時代でした。

文藝春秋は「芥川賞」を将来にわたって文句なしの輝かしい新人登竜門にしたかったし、本作を単行本化した新潮は一大ベストセラーにしたかったし、本作を映画化したい日活は新しいスター(長門、南田、裕次郎)による映画の一大ヒットを目論んでいたようで、水面下でもぞもぞと動きがあって小説「太陽の季節」の受賞は折り紙付きだったかもしれません。

石原慎太郎の本は一冊も読んだことがないし、裕次郎が好きだったわけでもない私ですが、慎太郎は裕次郎のおかげで生涯「ああいう風」だったと思います。

ということで、実はきょうは親ガチャ・叔父ガチャで生きてきた石原伸晃の話を書こうと思ったのですが、何だかあほらしくなってきたので石原慎太郎の「太陽の季節」について少し書いてみました。

太陽の季節」が受賞した第34回芥川賞の選評概要
石川達三    50歳 ◎
「推すならばこれだという気がした。」「欠点は沢山ある。気負ったところ、稚さの剥き出しになったところなど、非難を受けなくてはなるまい。」「倫理性について「美的節度」について、問題は残っている。しかし如何にも新人らしい新人である。危険を感じながら、しかし私は推薦していいと思った。」「芥川賞は完成した作品に贈られるものではなくて、すぐれた素質をもつ新人に贈られるものだと私は解釈している。」

井上靖 48歳 ○
「その力倆と新鮮なみずみずしさに於て抜群だと思った。」「問題になるものを沢山含みながら、やはりその達者さと新鮮さには眼を瞑ることはできないといった作品であった。」「戦後の若い男女の生態を描いた風俗小説ではあるが、ともかく一人の――こんな青年が現代沢山いるに違いない――青年を理窟なしに無造作に投げ出してみせた作品は他にないであろう。」

中村光夫    44歳 □    
「未成品といえば一番ひどい未成品ですが、未完成がそのまま未知の生命力の激しさを感じさせる点で異彩を放っています。」「常識から云えば、この文脈もところどころ怪しい。「丁度」を「調度」と書くような学生に芥川賞をあたえることは、少なくも考えものでしょう。」「石原氏への授賞に賛成しながら、僕はなにかとりかえしのつかぬむごいことをしてしまったような、うしろめたさを一瞬感じました。」「しかしこういうむごさをそそるものがたしかにこの小説にはあります。おそらくそれが石原氏の才能でしょう。」

丹羽文雄    51歳 ■
「若さと新しさがあるというので、授賞となったが、この若さと新しさに安心して、手放しで持ちあげるわけにはいかなかった。才能は十分にあるが、同時に欠点もとり上げなければ、無責任な気がする。」「結局推す気にはなれなかった。私には何となくこの作者の手の内が判るような気がする。」

佐藤春夫    63歳 ●
「反倫理的なのは必ずも排撃はしないが、こういう風俗小説一般を文芸として最も低級なものと見ている上、この作者の鋭敏げな時代感覚もジャナリストや興行者の域を出ず、決して文学者のものではないと思ったし、またこの作品から作者の美的節度の欠如を見て最も嫌悪を禁じ得なかった。」「僕はまたしても小谷剛を世に送るのかとその経過を傍観しながらも、これに感心したとあっては恥しいから僕は選者でもこの当選には連帯責任は負わないよと念を押し宣言して置いた。」

瀧井孝作 61歳 □    
「小説の構成組立に、たくみすぎ、ひねりすぎの所もあるが、若々しい情熱には、惹かれるものがあった。これはしかし読後、“わるふざけ”というような、感じのわるいものがあったが、二月号の「文學界」の「奪われぬもの」というスポーツ小説は、少し筆は弱いけれど、まともに描いた小説で、これならまあよかろうと思った。」「この作家は未だ若くこれからだが、只、器用と才気にまかせずに、尚勉強してもらいたい、と云いたい。」

宇野浩二    64歳 ●
「読みつづけてゆくうちに、私の気もちは、しだいに、索然として来た、味気なくなって来た、」「仮りに新奇な作品としても、しいて意地わるく云えば、一種の下らぬ通俗小説であり、又、作者が、あたかも時代に(あるいはジャナリズム)に迎合するように、(引用者中略)『拳闘』を取り入れたり、ほしいままな『性』の遊戯を出来るだけ淫猥に露骨に、(引用者中略)書きあらわしたり、しているからである、」

川端康成    56歳 □
「私は「太陽の季節」を推す選者に追随したし、このほかに推したい作品もなかった。」「第一に私は石原氏のような思い切り若い才能を推賞することが大好きである。」「極論すれば若気のでたらめとも言えるかもしれない。このほかにもいろいろなんでも出来るというような若さだ。なんでも勝手にすればいいが、なにかは出来る人にはちがいないだろう。」

舟橋聖一    51歳 ◎
「今回はこの一作しかないと思って、委員会に出席した。」「この作品が私をとらえたのは、達者だとか手法が映画的だとかいうことではなくて、一番純粋な「快楽」と、素直にまっ正面から取組んでいる点だった。」「彼の描く「快楽」は、戦後の「無頼」とは、異質のものだ。」「佐藤春夫氏の指摘したような、押しつけがましい、これでもか、これでもかの、ハッタリや嫌味があっても、非常に明るくはっきりしているこの小説の目的が、それらの欠陥を補ってあまりあることが、授賞の理由である。」