青木繁の代表作「海の幸」、同時に日本美術の代表絵画でもある。
「日本美術応援団」という本で、http://blogs.yahoo.co.jp/tosboe51/28555547.html
知ったが、この絵で唯一こちらを見ている白い顔の若者が、
青木の恋人であった福田たねの肖像であるようだ。
青木は出品した原画が好評のうちに手元に還ってきてから、
たねの顔を書き加えたようである。
海の幸を持ち帰る全裸の男たち、時代も国籍も不明な透明感がある。
海外で基礎をしっかり学んできた画家というだけでない、
元来青木が持っている力強さがみなぎったすごい作品である。
違った勢いがある。
心身とも病んで、わずか28歳の生涯を終えた青木繁であったが、
恋人を大切な作品に書き加え、愛を誓った22歳の若者の幸福感は、
如何ばかりだったかと思いをめぐらすと、心を揺さぶられる。
青木のもうひとつの代表作「わだつみのいろこの宮」(1904年 重要文化財)は、
女性を描いた縦長の作品で、私はこの作品も大好きである。
「海の幸」「わだつみのいろこの宮」ともに、久留米の石橋美術館で会える。
『海の幸』の作者として知られる青木繁は、近代日本美術史の上でもっとも著名な洋画家の一人である。
若くして日本美術史上に残る有名作を次々と描き上げた後、放浪生活に入り、満28歳の若さで没した
青木の生涯は半ば伝説化している。短命だったこともあって、残された作品の数は決して多くはなく、
代表作『海の幸』を含め、多かれ少なかれ未完成の作品が多い。しかし、日本の古代神話などをモチー
フにした浪漫的色彩の濃い画風は、西洋美術の物まねではない独自のものとして高く評価されている。
青木は今の福岡県久留米市に、旧有馬藩士である青木廉吉の長男として生まれた。武士の系譜を引く
父は厳格な人物で、息子の画家志望を聞かされた時、「美術だと。武術の間違いではないのか」と
なじったという逸話が残っている。
青木は同じ久留米生まれの洋画家坂本繁二郎とは同年で、両者は小学校の同級生でもあり、終生の
親友でありライバルであった。同時代人の証言や青木自身による「自伝草稿」によれば、青木は
歴山帝(アレクサンドロス大王)に憧れる早熟な文学少年であったようだ。
青木は絵画のほかに短歌もよくし、短い生涯に多くの文章を残している。
若くして日本美術史上に残る有名作を次々と描き上げた後、放浪生活に入り、満28歳の若さで没した
青木の生涯は半ば伝説化している。短命だったこともあって、残された作品の数は決して多くはなく、
代表作『海の幸』を含め、多かれ少なかれ未完成の作品が多い。しかし、日本の古代神話などをモチー
フにした浪漫的色彩の濃い画風は、西洋美術の物まねではない独自のものとして高く評価されている。
青木は今の福岡県久留米市に、旧有馬藩士である青木廉吉の長男として生まれた。武士の系譜を引く
父は厳格な人物で、息子の画家志望を聞かされた時、「美術だと。武術の間違いではないのか」と
なじったという逸話が残っている。
青木は同じ久留米生まれの洋画家坂本繁二郎とは同年で、両者は小学校の同級生でもあり、終生の
親友でありライバルであった。同時代人の証言や青木自身による「自伝草稿」によれば、青木は
歴山帝(アレクサンドロス大王)に憧れる早熟な文学少年であったようだ。
青木は絵画のほかに短歌もよくし、短い生涯に多くの文章を残している。