遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

燕子花屏風/尾形光琳

イメージ 1

「燕子花屏風」 尾形 光琳   国宝:根津美術館所蔵



今、根津美術館では尾形光琳の「燕子花屏風(かきつばたびょうぶ)」を展示中、

この季節の恒例展示のようである。

5月7日の展示終了後、根津美術館は改築工事のため、3年半にわたり休館されるもようである。


私は、この絵の本物を見る機会がさらに遠のくことになるのかもしれない。

しばらく京都に里帰りしてくれないものかと、思う。


尾形 光琳(おがた こうりん、万治元年(1658年) - 享保元年6月2日(1716年7月20日))は、江戸時代の画家。工芸家

1658年、京都の呉服商雁金屋 尾形宗謙の次男として生まれる。尾形家の祖先伊春は、足利義昭に仕える上級武士であったといわれるが、正確なところはわからない。30歳の時、父の死去に伴い家督を継ぐが、生来遊び人であった光琳は遊興三昧の日々を送って、相続した莫大な財産を湯水のように使い果たし、弟の尾形乾山からも借金するようなありさまであった。画業に身を入れ始めたのもこうした経済的困窮が一因であった。大画面の装飾的な屏風絵から、水墨画まで作風は多彩だが、どの作品にも都会的センスとデザイン感覚があふれている。弟の乾山との合作による陶器の絵付け、手描き友禅の絵付け、漆工芸品のデザインに至るまで、幅広くその才能を発揮している。


光琳は、京染めの呉服商の倅(せがれ)とあるが、型紙を使って生地を染める職人の倅でもあった。


この画は、型紙を抜いて生地に配置されたような杜若(かきつばた)の群生図である。

伊勢物語」の「三河の八橋」を題材にとった作品である。


メトロポリタン美術館所蔵の「八橋」には、「橋」が描かれているが、

「燕子花屏風」は一切が省略されて、杜若以外は何も描かれていない。


屏風の外に、橋や流れや三河の風景が存在する。

それは観る側に与えられた自由なんだと、遊び人光琳は言いたいのか。


スケール感の出し方が、松雄芭蕉の俳句のようである。


紅白梅図屏風」( MOA美術館蔵、国宝)は、 光琳のもうひとつの名作。

この絵を観るにつけ、クリムト光琳の影響を受けていると、私は思う。



300年前に、この国に、世界屈指のグラフィックデザイナーが居た。