遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

第166回芥川賞 砂川文次の「ブラックボックス」を読みました

ブラックボックス  砂川 文次   講談社 

2021下期第166回芥川賞を受賞した砂川文次の「ブラックボックス」のご紹介。

短い物語で、分かりやすい言葉で過去のことも含めて主人公にまつわるいくつかの分かりやすいエピソードが章立てなく書かれている。

主人公のサクマは、東京で自前の自転車を使って書類などを配達するメッセンジャーの仕事を生業としている若い男。

本作冒頭のある日の午前、繁華街の交差点で周りに無頓着なあるいは悪意のある白いベンツのために仕事中に落車してしまうサクマ。そのシーンの描写が、緻密でスリリングで、二三行で済むようなシーンに数ページ費やす著者。

自転車は少々傷ついたが、身体に問題なく、営業所に帰って自分で用意している部品を使って自転車を修理し平然と午後の仕事に戻るサクマ。この自転車修理のシーンも、聞いたこともないパーツの名称を駆使して綿密に描く著者。

サクマは、周りから見るとブラックボックスのように閉ざされていて不思議な存在で、それはサクマ自身にもわからないような爆発物を内蔵している。わからないので、起爆制御も利かなくて、本作では最後までそのことが繰り返される。

その繰り返される事柄はここには詳しく書かないが、時々抑えが利かなくなる主人公にサクマくん何でそうなるの?と読み手は残念がることはあっても、なぜか読み手が振り回されることはない。

「爆発物」を身体の中に閉じ込めているブラックボックス・サクマは、自転車のメンテナンスのような誰にも邪魔されずに没頭できる手仕事に幸せを見出す。起爆剤は外部からもたらされるからなのか、不要物を剥ぎ取って爆発物を押し込めて生きていくのだった。

象徴的な冒頭の白いベンツにもさも似た無遠慮でぶしつけな人間たちが、サクマの目の前に出現して私たちは主人公と同様に心が乱れることになるが、誰もが振り回されない。

自分が悪人だということが自覚できない人間が、サクマのような人間を爆発させるのだが、本作で読み手が心を乱されないのは、そういうことなのだと思う。