遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

「小さい頃からギャンブルを。国民を勝負師に」して、日本の未来はあるのか?

 

かつて、大阪府知事だった橋下徹は、カジノ合法化を推進するための「小さい頃からギャンブルを。国民を勝負師に」と、国会議員らにカジノ合法化を求めたことがあった。

また、直近の話で言えば、岸田首相は「貯蓄から投資へ。一億総株主だ」と内外で発言していて、高校では今年度から金融教育と称して授業で投資について学ぶことが始まった。

投資は預金(貯金)と似て非なるもので、ギャンブル的要素が多分に含まれていることを高校生にきちんと教えられているのだろうか。

預貯金は、元本が棄損せずに戻ってくることが約束されているが、投資だと元本が大きく損なわれてしまう危険性がある。

株式投資だけでざっくりと考えても、誰かが株の売買で利益を得れば、その反対側で損している投資家が存在していて、ギャンブルと似ているところがある。

ところが、誰が得をしようが損をしようが証券会社は手数料収入が入る。猫も杓子も頻繁に投資をすればするほど手数料で儲けることができる。そして、もっと複雑な金融商品投資信託外国通貨の債券、デリバティブ商品など)では、商品を組成して売り出す企業組織(証券会社やヘッジファンドなど)や、商品を仲介する企業組織(証券会社や銀行など)の手数料収入がもっとたくさん入ってくる。

要するに、第三者が投資することにより、その上前をきっちりはねることで確実に儲けられる。

ギャンブルも同じで、例えば国が運営する中央競馬JRAは、掛け金の25%が寺銭(博打の主催者に入る手数料)として確保し、その他の75%を配当に回して、誰が勝とうが負けようが残りの75%の中で完結するだけの世界なのだ。(ネットカジノでの勝ち組はほぼ0%だろうが...)

橋下元大阪府知事も岸田首相も、「寺銭確保」のために多くの「勝負する国民」を生み出そうとしている。こういったギャンブル行政は長続きはしないし、掛け金や寺銭に群がる不届きものが跋扈することも容易に想像できる。

そういうずさんなギャンブル行政につけこむ不届きものは、昨今の持続化給付金詐欺事件で顕在化してきたようにも見える。

経産省官僚や東京国税局職員や学生たちが、間抜けな国の制度の穴を利用して「勝負」したのだ。行政のお膝元に下手人がはびこっているという体たらくなのだ。

彼らは元手は要らないギャンブルで勝負したのと同じ(100%犯罪)で、危ない橋を渡ってあぶく銭を得ようとする役人たちが跋扈し、官製ギャンブルをあおる国が日本なのだと認識する必要がある。

そして何度も言っているように、元手となる資金がそもそも我々にはない。そのことを考えると、要は塩漬けになっている預貯金や眠っているタンス預金を市場に回そうという企みのようだ。しかし、もはや投資を促すターゲット層は年々小さくなっていて、預金ができない家庭が大きく増えているのに何をほざいているのだろうか。

日本人が預貯金に熱心なのは、資産形成というよりも、老後や万が一のための貯えとしての側面が大きい。重い国民負担にもかかわらず将来に何の保証もない脆弱な国家体制の中で、日本国民はせっせと貯えをして慎ましく暮らしているのだ。そのことも、金融教育で生徒たちに意識させないと不健全な教育になってしまうだろう。

「小さい頃からギャンブルを。国民を勝負師に」して、日本の未来はあるのか?それこそ丁半博打のあさはかな思想であって、まずは家計に直接流入されるべきキャッシュがなければ日本は滅びるのだということを、金融商品の売り手側も早く気付くべき時だろう。