遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

私の二十歳のころ立花隆は華々しくデビューしました

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立花隆さんが亡くなられた。謹んでご冥福をお祈りします。

我がブログでは、立花さんの書籍に関する記事を何度か書いています。そんなに熱心な彼の読者ではなかったのですが、どれも2005年にこのブログを始めて間もない頃の古い記事になります。

ぼくはこんな本を読んできた立花隆 (2007/3/11)
https://toship-asobi.hatenablog.com/entry/47602984

立花さんの推薦する本は格調が高くて、科学を中止とした幅広い分野にわたっていたように記憶しています。エンタメ要素があまりなく、要するにあまり参考にならなかったように思います。それより、立花さんの秘書を募集した時の採用条件と採用試験のことが本書に記されていて、これがすこぶる面白い章でした。

立花隆秘書日記/佐々木 千賀子 (2005/6/18)
https://toship-asobi.hatenablog.com/entry/5090474

難関を潜り抜けて立花さんの秘書になった著者が、秘書の眼から見た立花隆を描いた1冊。これは楽しい本でした。
ネクタイを絶対締めない立花さんが、例外的にネクタイを締めて会う人は大江健三郎、みたいなエピソードが満載でした。

二十歳のころ東京大学教養学部立花隆ゼミ (2006/2/26)
https://toship-asobi.hatenablog.com/entry/27924940

これは立花さんが東大でゼミを持っていた時に、受講している学生たちに与えた課題(リポート)をまとめた書籍。
各界の著名人が二十歳の頃は、何を思いどんな人間になろうとしていたかをインタビューしてまとめ上げたリポートを実に楽しく読みました。立花さんが編集したゼミの生徒たちの「調べて書く」という作業の集大成でした。また読み返そうと思います。

1974年10月に月刊誌の「文藝春秋」に書かれた田中角栄研究」が一大センセーションを巻き起こし、記事は読んでいなかったものの、私はその話題で立花隆を認知したのでした。

いまでこそ「知の巨人」と奉られる御仁ですが、当時は週刊誌のスクープ記者(トップ屋)のような人なのかと思っていました。でも実際そのような立ち位置だったようです。

1974年、時あたかも私の二十歳のころの思い出でありました。 合掌