遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

和田誠を悼む/イラスト自体が彼の人格だった

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和田誠さんが亡くなられたニュースを目にした。謹んでご冥福をお祈りする。

昨日のマイブログ記事で、「火野正平のこころ旅」と「たばことコーラ」を題材にしたが、火野正平が吸っているたばこが、いまではめずらしいハイライト。

1960(昭和35年)年に発売されたハイライトのパッケージデザインは、コンペで採用された和田誠のデザインだった。
私はハイライトを吸っていた時代はなかったが、あのシンプルな都会的なパッケージデザインは、和田誠の洒脱な感覚を体現している。

子どもだった私は、NHKみんなのうた」のアニメを担当したイラストレータ和田誠が、はじめての出会いだった。

ウィキペディアによると、和田の担当した「みんなのうた」の主なアニメは以下のラインナップ
誰も知らない(楠トシエ) - 「みんなのうた」初のアニメ。1961年(昭和36年)4月3日「みんなのうた」初回放送。
ビビディ・バビディ・ブー(スリーグレイセス)▲
ママごめんなさい(中尾ミエ
お化けなんてないさ(弘田三枝子)▲
ねこふんじゃった(天地総子東京放送児童合唱団)
四人目の王さま(坂本九) - 初のカラー作品。
パパのバイオリン(友竹正則杉並児童合唱団)▲
バケツの穴(熊倉一雄東京放送児童合唱団)

▲印は映像が現存していないそうだが、「誰も知らない」「ママごめんなさい」「バケツの穴」などを聴いて歌って私は大きくなった。歌詞を見ればいまでも歌える。

その後は、映画やジャズが好きだったので、和田との接点が少なからずあった。

とりわけ、彼の著書で、映画の名セリフをピックアップして彼のイラストとともに紹介した「お楽しみはこれからだ」の何冊かは、長年の愛蔵本だ。

彼のイラストは、いつも穏やかで愛しくて懐かしい人に出会ったような気持ちになる。

イラスト自体が彼の人格だった。 合掌

 

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