遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

健康大国をつくらず病人を切り捨てる自民党と厚労省

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 知り合いの男性(大阪府在住、60代前半)がコロナによるホテル療養から無事帰宅し職場復帰されたという朗報が届いた。

5月半ばに発熱し自宅療養していて、PCR検査で陽性が判明し、その後梅田でホテル療養になったようだ。療養中は医師による治療はまったくなく、家族がホテルに頭痛薬を届けただけで、その方は自力で回復したそうだ。

この方が療養中ずっと気がかりだっただけに、自宅に戻ったという報せは最近で最も喜ばしいニュースだった。もしこれが家族だったら、戦慄と安堵の「大波」に翻弄されたことだろう。

他人の不幸は「さざ波」という心は、とてもよく理解できる。しょせん他人事は「さざ波」程度のことなのだが、政治や行政や医療に携わる人は、他人事といって放置できる範囲は極めて狭くて、だからこそ彼らの仕事は偉大なのだ。とりわけ医療や介護に従事する人たちは偉大だ。

一度でも病気なった人なら、医師や看護師や介護士の昼夜を問わないケアに心の底から感謝できるだろう。仕事と割り切ってやるにしても、あまりにも大変な仕事である。

上の画像は、「病床削減支援給付金」について今ごろ取り上げるテレビ番組。取り上げないよりはましかもしれないが、これは昨年10月に出された通知で2020年12月4日締め切りで病院にベッド数を減らすことを求めている。

http://www.toyama.med.or.jp/wp/wp-content/uploads/2020/10/2020chi373.pdf

医療崩壊が顕著になった現在も、厚労省は病床数の削減や病院の統合に給付金をつけて要請を続けている。

この給付金は、病院を減らしたりベッド数を減らせば患者数が減る(あるいは病人の治療をしない)という考えがベースにある。これは、国の医療費を削減するための1度きりの初期費用で、国民を犠牲にしないと国が滅びるとしか考えが及ばない政府の施策である。

「健康大国をつくる」つまり「病気にならない人を増やすためには、あるいは病気を治すにはどうしたらいいのか」を考えるのが厚労省の務めなのに、「病人を切り捨てる」ことしか考えられないようで、彼らの精神構造を疑いたくなる。

それにしても、この10年ほどで安倍晋三菅義偉小池百合子大阪維新(橋下・松井・吉村)によって、目にはっきり見えないものも含めて何もかもがグチャグチャにされた日本は、仮に政権交代したとしても復旧・復興に大変なエネルギーが必要とされるだろう。ある意味、これ戦後の復興以上に大変なことになるような気もする。

政権交代したら、官僚の入れ替え(若い官僚の重用や民間からの登用など)なども大きな仕事になるだろう。