高田賢三さんが新型コロナにより亡くなられた。81歳だった。
日本人のファッションデザイナーで私が最も早く認知したのは、コシノジュンコで、その後に高田賢三も知った。
コシノジュンコは早くから大活躍していて、1960年代から日本のメディアに取り上げられることが多かったし、高田賢三は1970代にパリからの逆輸入で知ったデザイナーだった。
コシノと高田は朝ドラ「カーネーション」でも登場していたが、文化服飾学院の同級生で、ファッション界の芥川賞的存在「装苑賞」もほぼ同時期に受賞している。
60年代の主な装苑賞受賞者と現在の年齢
第7回(1960) コシノジュンコ(81)
第8回(1961) 高田賢三(81)
第21回(1967) 山本寛斎(76歳で本年没)
第25回(1969) 山本耀司(77)
「ケンゾー」のファッションブランド名を本人の顔かたちより先に認知していたので、私が二十歳くらいだったろうか映像で高田賢三本人を見たときはちょっとイメージが外れていた。
70年代の彼は、大きな黒縁メガネと金太郎みたいなおかっぱ頭がトレードマークで、芸能人やモデルの外見とは程遠くて、失礼ながらあまりカッコイイとは思わなかった。
しかし、ケンゾーブランドはパリでは有名で日本にも名声は轟いていたので、賢三はカッコイイとは思わなかったがオーラがあった。しかも、マッチョじゃなくいつも笑顔で、柔和な感じが洗練された大人という感じを漂わす成功者だった。つまるところ今思うと、結局カッコいい大人だったのだ。
「KENZO」のロゴがまたおしゃれで、私はケンゾーブランドのものはほぼ何も持たなかったが、ロゴを見ただけでも誇らしく思ったものだった。
晩年彼のポートレート(記事冒頭の画像)を見てもまだまだお若くて、きっとまだまだ現役だったのだろう。まことに残念な逝去であった。
謹んでご冥福をお祈りする 合掌