遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

「ドラクエ」と「ダビスタ」に出合えた僥倖

f:id:toship-asobi:20201004232145j:plain

週末にわが家にやってきた次女夫婦の会話が聞こえてきた。

知り合いなのだろうかどこかの夫婦のことを喋っていて、何でも旦那の方がオンラインゲームに夢中になっていて離婚の危機にあるようなのだ。

そのオンラインゲームがどんなものなのか私は知らないのだが、私も新婚早々でドラゴンクエストにはまってしまったことがある。

もう30年以上前、ちょうど「ドラクエ2」が発売された少し前に結婚していた私。

鴻上尚史週刊朝日に連載中のエッセイのなかで「だまされたと思って一度ドラクエをやってみてください」というのだ。私は33歳、その時はファミコン本体も持っていなかった。

鴻上尚史は当時27歳。好きな信頼のおける27歳の劇作家が薦めるファミコンゲームに、社会人でしかも結婚したての33歳の男が手を出してもいいのだろうか。

そんなことを思いつつ、仕事帰りに吹田のスーパーダイエーに立ち寄ったら、なんと「ドラクエ」と「ドラクエ2」がショーウィンドウに並べてあったものだから、衝動買いをしてしまった。しかし、本体のファミコンが品切れ状態で、ソフトだけ買って本体の入荷を待ってファミコンデビューにドラクエをやり始めた。(スーパーマリオシューティングゲームは全く興味がなかった。)

新婚の妻より深くドラクエを愛してしまった私は、2つのドラクエのエンディングまで、仕事中以外はほとんど首っ引きで夢中になった。

ただ、私たち夫婦にとってラッキーだったのは、ドラクエ3が発売されたのがその1年後だったことだった。ドラクエ以外ほかのソフトは眼中になかったのでドラクエ熱の冷却期間が長く持てたことで妻の機嫌も直ったのだった。

その後1年近くは、妻の職場の同僚にドラクエのソフトを貸し出した。その同僚が攻略に行き詰まり、妻が持ち帰る「攻略についての質問と回答」のやり取りがとても楽しかった。攻略の正解を100%してしまうと同僚の達成感がないだろうと、自分で書いたメモを見ながら正解に近いヒントを提供するのが楽しくて、私はドラクエを二度楽しめたのだった。

その後、ドラクエは4までファミコンで楽しんで、スーパーファミコンで確かドラクエ5と6を終了させて、ドラクエを卒業した。その後、スーファミ版の「ダビスタ」「ダビスタⅡ」にはまったのを最後に、子どもが産まれたこともありゲーム生活にピリオドを打った。「ドラクエ」と「ダビスタ」、数年だったけど楽しいゲームの年月だった。

ということで、旦那のオンラインゲームが理由で離婚危機にある奥さん、旦那が大嫌いになったのなら離婚も仕方がないが、ある程度放置していたらひと段落するのではないだろうか。離婚を早まる前に、自分だけの楽しみも見つけたらいいとも思うのである。