遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

祝会場90周年/阪神甲子園球場

イメージ 1

阪神甲子園球場の開場は、1924年8月1日。今日で会場90周年になる。今日が、甲子園球場の90歳の誕生日となる。おめでとう。

この記念すべき日に、阪神タイガースはサヨナラ勝ちを決めてくれた。PL学園時代から、甲子園のスーパースターだった福留選手がサヨナラヒットを打ってくれた、あっぱれ福留、バンザイタイガース。

私が初めて甲子園球場を訪れたのが、小学6年生になったばかりの1965年4月2日の選抜高校野球の準々決勝の日。地元大阪のPL学園が準々決勝に残ったので、中学生のいとこが誘ってくれての初めての野球観戦だった。

PL学園のほかに、当日試合をしたのが、私立和歌山商業と苫小牧の高校だということをずっと覚えていたので、ネット検索したら第37回選抜高等学校野球大会の準々決勝の日(1965年の4月2日)だということが判明した。

(1965年・昭和40年) 
【優   勝】岡山東商業高校
【準優勝】市立和歌山商業高校
【ベスト4】  
 市立和歌山商業高校(和歌山県
 徳島商業高校(徳島県
 入場行進曲

PL学園は、当日敗退したが、その時の相手は高松商業だったことは憶えていなかった。また、苫小牧の高校は、苫小牧東高校(徳島商業に敗れる)だったことも判明した。苫小牧東高校の左バッターが、三塁側の私の座席近くに何度もファウルフライを打ちこんできて怖かったことを憶えている。北海道の苫小牧という地名も、おそらくその時初めて覚えたんだと思う。

優勝した岡山東商高のエースは、後に大洋ホエールズのエースになった平松政次で、かっこよくて素晴らしい高校生だった。準優勝の私立和歌山商工の藤田平は、一試合二本塁打という王貞治以来の快挙をこの大会で達成し、甲子園球場で名前がコールされると拍手が湧き上ったこともはっきり覚えている。これまたかっこいい。藤田はその後阪神タイガースの中心選手として活躍する。

きちんと野球をしたことも見たこともなかった田舎の少年だった私は、ピッチャーが投げるボールが見えなくて(動的視力が未発達だったのだと思う)、大きすぎる甲子園でうまく野球を観戦できなかった。でも忘れられない体験になった。

私が初めて訪れた1965年、甲子園球場は会場後まだ41年だったのだ。
あれから早49年。でも、あのころの好奇心はまだ失っていない。