太平洋戦争末期のフィリピン・レイテ島が本作の舞台となる。
毎日新聞の太平洋戦争のデータベース「230万人はどのように戦死したのか」によれば、戦時中にフィリピンに参戦した日本兵は63万人。そのうち戦死したのは約8割の49万8600人、また戦病死したのは約7割(44万人)だったという。戦病死とは戦闘による死ではなく、病気や餓死などによる死で、それが圧倒的に多かった。
主人公の、ひげ面の目だけぎょろぎょろした痩せこけた日本兵田村一等兵を船越英二が演じる。はじめ、その容姿や眼光から仲代達也と見間違った。田村一等兵は肺病のため病院送りになるが、もっと重病患者がいるから邪魔だと病院を追い出され、部隊に戻ると役立たずで食糧の無駄だから病院へ戻れと追い出される。結局、田村ははぐれ狼となり、重い銃は川に捨て放浪するうち、日本軍の救援があるというパロンポンというところに集結しようとする多くの日本兵たちの流れに単独で合流する。
先に書いたように、戦争が舞台の作品にもかかわらず戦闘シーンはほとんどなく、空腹や病気でボロボロになった兵士を描いただけの作品だった。しかし、それこそが等身大の戦争を描いているのだった。船越英二の演じる淡々とした中にもそこはかとなく漂うユーモアを湛えた日本兵が、唯一の救いのような映画だった。若きミッキー・カーチス(あんちゃんのような兵士役)も好演。
作者の元日本兵大岡昇平は、フィリピンで捕虜になり生きて帰ってきた数少ない日本兵だった。彼の作品は、その戦争体験に基づいて書かれているのだろう。アメリカ映画の戦争シーンは、戦勝国の勇ましさや成功譚を中心に描かれているとしたら(実際は、悲惨な戦争を諫める思いがある)、本作は徹底的にみじめな戦争被害者であるボロボロの日本兵を描いている。 フィリピンの農民が草を焼く野火の煙のように、はかなく立ち消えていく日本兵の命なのであった。
普通の市民・学生が、扱ったことのない鉄砲や手りゅう弾を与えられて、フィリピンのジャングルに送り込まれ、敵の姿も具体的な戦闘もなく、食べる物もなく地図もコンパスもなく、ただ堕ちていく。
兵士とは呼べない日本の男たちを戦地へ送っただけの、戦争の体をなしていない太平洋戦争の実態がここにある。こういう「戦争ごっこ作戦」を考えただけの大本営のレベルの低さに対する怒りが作品の裏側から立ち上がってくるのを実感いただきたい。兵站(弾薬や食料などの運搬)もなく犬死にしていった兵士だけが、ただそこにいるだけのことだった。
永田雅一が製作したとは思えないほど(多分、「儲かったら何でもええわ」くらいのことなんだろうが)、無駄死にを繰り返した太平洋戦争の一幕を忠実に描いた、強烈な反戦映画である。参考までに、「野火」と似たテーマの、今村昌平製作、原一夫監督の強烈苛烈なドキュメンタリー映画「ゆきゆきて、神軍」もおすすめする。今この時期にぜひ鑑賞いただきたい。
野火
監督 市川崑
脚本 和田夏十
原作 大岡昇平
製作 永田雅一
出演者
音楽 芥川也寸志
公開 1959年11月3日 上映時間 105分