遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

ゆきゆきて、神軍/原一男

イメージ 1

映画「ゆきゆきて、神軍」は、公開からちょうど30年。渋谷のUPLINKではきょう8月12日から公開30年記念上映会が行われる。

私は、6年前にレンタルDVDで初鑑賞した。その時のレビューを以下に再掲載する。未見の方は是非ご覧になっていただきたい。また、次の戦争は自衛隊が実践するのだと思っている若者たちは、自分たちが徴兵されることをイメージしながら本作を見ていただきたい。

少なくとも暑さを忘れられると思う。

企画 今村昌平 
監督・撮影 原一男 
出演者 奥崎謙三・シズミ夫妻ら 
公開 1987年8月1日   上映時間 122分 

奥崎謙三は、神戸市で家業を営むが、このドキュメンタリーは、その奥崎の自宅兼店舗のシャッターのクローズアップから始まる。そのシャッターに書かれた「檄文」で、このドキュメンタリーの主人公の、ただならぬ人間性がうかがえる。

その次は、兵庫県の西の地方での婚礼のシーンで、その媒酌人を務めた奥崎の挨拶のうち、自己紹介の部分が紹介される。政治犯と思しき前科のある新郎の自宅で執り行われた小さな婚礼の場とはいえ、おめでたい席で前科を披露する奥崎の自己紹介に、唖然としてしまう。

1920年生まれの奥崎は、現在すでに亡くなっているが、映画撮影開始当時の1982年は62歳、太平洋戦争の激戦地から捕虜で囚われた後帰還し、すでに30余年の歳月が流れていた。1982年当時、彼は殺人や昭和天皇へのパチンコ玉発射などのかどで、3度の懲役刑を経験していた。

奥崎は、かつての所属部隊・独立工兵隊第36連隊のうち、ニューギニアのウェワク残留隊で隊長による部下射殺事件があったことを知り、その遺族とともに真相究明に乗りだす。

このドキュメンタリー映画のカメラは、その奥崎に帯同し彼の行動を記録する。

故郷の田舎町に戦後40年近くを暮らしてきた元兵士たちを訪ね歩き、なぜ、終戦後23日もたってから、二人の兵士は処刑されねばならなかったのか、その真実を突き止めるために、生き残り兵を執拗に追求する。

太平洋戦争の激戦地ニューギニアに上陸した20万名の日本軍将兵のうち、生還者は2万名に過ぎなかったのだが、その生き残り兵奥崎が、同じく生き残った上官たちの戦争責任を問い質す。

一言で表すと、実に不快なドキュメンタリーである。

そもそも、あの戦争自体が不快であるし、戦地に上陸させた兵士たちに食糧の補給もしなかった戦いが不快であるし、上官を殴って彼らの食糧を略奪し続け、結局帰還できた前科者の奥崎も不快である。

田舎に引きこもって、かつての鬼のような上官の仮面をはずして、好々爺として余生を送っている元兵士たちの生活に、土足で乗り込んでいく奥崎とそれを撮影するカメラクルーにも、不快感をもよおす。

しかし、この映画のテーマは、観る人を「不快」にさせることなのではないだろうか、やり場のないあまりはっきりしない怒りや、どうしようもないやるせなさで、倦怠感をもよおす。

地獄のような極限の激戦地で、生をむさぼった奥崎は、モンスターのようになってしまったのではないのだろうか。

極限状態で部下や部隊をコントロールしなければならない上官たちも、間違いなくモンスターだったし、何年経ってもそのときの自分から抜け出られないことに、戦後に奥崎がやって来るまでもなく、よく分かっていたのであろう。

私には、元上官の彼らだって戦争被害者であることが理解できるので、なおのこと不快なのである。

わが国の太平洋戦争での300万人を超える犠牲者たちをはじめ、あの戦争での全世界の犠牲者5000万人の人たちへの思いが重なって、こういう不快なドキュメンタリーが出来上がってしまうのかもしれない。

マイケル・ムーア監督絶賛の記録映画である。

日本映画ペンクラブベスト1位 
キネマ旬報ベストテン2位(読者選出1位) 
映画芸術ベストテン1位